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 1997年5月1日(木)
今日の撮影はパラグライダーを撮るために富士山付近まで出かけた。道は空いており、また間違える事無くたどり着いたので2時間で現場に到着した。この現場で小田監督はある人と5年振りに再会する。写真を見てもらえばわかるように前回の第一回監督作品「いつかどこかで」の主役を演じてくれた時任三郎さんである。今回の映画にもほんの少しだが出てもらえることになったのだ。どんなシーンなのかは映画を見るまでのお楽しみ、ということで肝心の撮影の方だが、今日も天気に振り回された。時任さんの撮影が終わり、次の撮影に入る頃から厚い雲が空に広がりはじめた。しばらく待ったが天気が回復する気配はまるで無く結局今日も撮りきれなかった。これで今回天気に泣かされたのは何回目だろうか。
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 1997年5月2日(金)
さあ行こう!今日も富士山へ。昨日撮り残したシーンを撮るために今日も朝から東名高速を突っ走った。8時15分には現場の朝霧高原に着いていた。午後になるとまた昨日と同じ様に雲が出てくるかもしれない。しかしスタッフもそれは百も承知、てきぱきと撮影準備をしていた。そんな我々の気持ちが通じたのであろう、午前中で昨日のシーンを撮り終えることができたのである。しかも昨日よりいい天気で。小田監督もすっかり御機嫌で林泰文君と記念撮影をしたりしている。しかし、である。やはり午後からあのいやな雲が出てきてしまった。別のシーンの撮影のためにわざわざここまで来た中島ひろ子さんと河相我聞君は、衣裳を着てメークまでして待っていたが結局撮影できず。天気に泣かされるのもここまでくると開き直ってしまう。
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 1997年5月3日(土)
今日の天気予報はくもりのち雨。なんとしてもくもりの間に撮ってしまいたいカットがたくさんある。今日の撮影現場は日比谷野外音楽堂、空とにらめっこをしながらの撮影が始まった。今日のメインはなんと言っても渡部さんと尾藤さんの芝居である。今日の写真はそのカットをチェックする3人の図である。結果を言ってしまえば今日はとっても天候に恵まれ予定通りのカットが全部撮れた。たまにこんな日があってもいいだろう。
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 1997年5月4日(日)
本日はセット撮影、天候を気にする必要無し。今日の芝居は飲み屋のシーンだ。普段から素面なのに酔っている様なテンションをほこる泉谷さんの芝居がメインだった。昨夜フジテレビの深夜の生放送を終えてすぐにこちらの現場へ来たのだがやっぱりハイテンションだ。今日はここを終えてもう一本テレビの仕事があるらしく慌ただしく次の現場へ行ってしまった。すごい人だ。さて今日の写真はスタジオの片隅で一人ロケ弁を食べる小田監督の図である。なぜ一人かと言えば、夕食時に絵コンテ書きに没頭して弁当を食べるタイミングが出遅れてしまったためである。隣では次の撮影準備が始まっている。急げ、監督!
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 1997年5月5日(月)
今日は子供の日、そして渡部篤郎さんの誕生日だった。撮影の前に役者さんとスタッフ全員でお祝いをした。今日の写真はその時、渡部さんに花束を渡す小田監督の図である。撮影があるということであまりゆっくりはできなかったが渡部さんもとても嬉しそうだった。さて撮影の方だが昨日に引き続き飲み屋のセット撮影だ。泉谷さんは今日も朝からハイテンション。怒る芝居が多かったので大暴れだった。でもそんな泉谷さんの芝居を見てとても満足げな小田監督であった。そろそろ疲れもピークに来ているが、いいカットが撮れるとそんな疲れも忘れられる。明日は撮休、ちょっと嬉しい。
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 1997年5月6日(火)
本日撮休。小田監督は事務所にて絵コンテ書き。あと少しで全カット書き終わるらしい。最後の追い込みだ。さて今日の写真は車の中でのレコーディングシステムをチェックする小田監督である。今度の伊豆のロケの時、空き時間を利用して簡単なレコーディングができたらいいなあということで用意したのだ。実際そんな時間があるかはわからないが、小田監督のことだから一生懸命やることになるだろう。
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 1997年5月7日(水)
天気予報についに打ち勝つ事ができた。大方の予報は、曇りのち雨の本日、朝から太陽が顔を出していた。今日の撮影現場は2度目の日比谷野外音楽堂。今日は晴れていてくれたら最高なのだ。昨日の撮休の日、小田監督は「今日が明日だったらなー」ととってもいい天気の外を見ながらつぶやいていたものだ。しかし信じるものは救われる。全然雨なんて降りゃしない。ざまあ見ろである。この撮影の後、撮り残したシーンのあるアウトサイドレストランのロケに出かけた。雨など全然降らず素晴らしいシーンが撮れた。充実した一日である。
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 1997年5月8日(木)
今日はいよいよ伊豆のロケに出かける日である。天気予報は伊豆地方は雨、到底撮影などできないだろうと思っていたが我々はついてきているのだ。案の定雨など降らぬ。予定していた撮影をほぼ終わらせることができたのだ。「今日もひろったよなー」とは小田監督の弁である。夕方ホテルへ戻り役者の皆さんと食事をした。ホテルということで小田監督もビールをたらふく飲んでいる。もう真っ赤だ。早く風呂に入って寝て欲しい。明日も早いのだから。
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 1997年5月9日(金)
朝6時に起きた。天気が心配だったが今日の撮影は予定通り行われると連絡が入った。7時にホテルのロビーを出る。曇り空である。しかも相当風が強い。時折突風が海岸を駆け抜け、砂浜の砂を我々にぶち当ててくれる。気温も昨日に比べ7〜8℃低い。でもこれでいいのだ。冬のシーンだから。天気予報によれば午後からは晴れなのである。12時をまわったところでこのシーンは終了、昼食後はみるみるうちに晴れてくるはずだ。待つこと1時間。いっこうに太陽が顔を出してくれない。気温も全然上がらない。小田監督も渋い表情だ。助監督の武田さんと相談し明日は絶対に晴れという予報を信じて、芝居の段取りの確認だけして今日は終了することになってしまった。夕方ホテルに戻り外を見るとなんと雨である。いい決断をしたようだ。明日はなんとしても晴れて欲しい。
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 1997年5月10日(土)
朝6時に現場に着いた。本日は大晴天。海はすでにサーファー達でいっぱいである。さあ今日はたくさん撮影をしなければ。そんな思いはみな同じだ。小田監督も顔にたっぷり日焼け止めクリームを塗って海岸へ飛び出した。撮影は順調に進み昼食になる。さて今日の写真は昼食後にテレビ用のコメント収録をする小田監督の図だ。いつ放送されるかは追って報告したいと思う。撮影に戻って午後の部。少し風が強くなってきた。気温も思ったよりは上がらずだ。土曜日ということもあって多くのギャラリーが見つめる中、今日の撮影は夕方6時過ぎに無事終了した。車でホテルへ戻る小田監督の表情にもだいぶ疲労がうかがえる。しかし撮影もそろそろ終盤にさしかかる。本当にここががんばりどころなのだ。
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 1997年5月11日(日)
伊豆に来て早くも3日が過ぎた。天気はおおむね良好、予定通り撮影は進んでいる。そして今日4日目、昨日同様6時に現場へ。今日もサーファーがたくさんいる。天気が途中怪しくなりかけたりしたが、予定の撮影はすべて終了した。今日は撮影終了後みんなでバーベキューをやることになっている。しかも今日はあの泉谷しげるさんの49回目の誕生日なのだ。この写真はみんなでハッピーバースデーを歌ったあと小田監督から花束をもらい、とっても照れている泉谷さんの図である。もう明日は東京へ戻る日だ。なんとなく寂しい気がする。
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 1997年5月12日(月)
伊豆ロケ最終日、今日も朝から撮影だ。昨日、一昨日とはうって変わって閑散とした浜辺である。今日の午前中でもっか小田監督と同い年の泉谷しげるさんが、自分の出演シーンすべての撮影を終了した。もう撮影現場には来ないのだ。これからどんどんそういう役者さんが増えてくる。寂しい限りである。さて今日の写真はまだまだ出番の多い役者さん達と小田監督の記念撮影だ。ご存じ中島ひろ子さんとマネージャー役の藤倉みのりさん、そして主役の夏目のマネージャー、船田役のキャラメルボックスの菅野良一君である。まだまだとは言ってもやっぱりクランクアップはもうそこまで来ている。これからも充実した日々を過ごしたいものだ。
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 1997年5月13日(火)
久しぶりのスタジオだ。伊豆の疲れはまだ残っているがスケジュールは待ってくれない。今日も当然撮影は行われる。これから先、撮休はもう無い。もし次に撮休があったら、それはクランクアップを意味するのだ。これからもハードな日々が続くがもうゴールが見えてきている。いいカットをたくさん撮りたい。さて今日の撮影は主役2人の芝居だった。なかなか重要なシーンである。打ち合わせにも自然と熱が入る。小田監督も何度も2人と話しながら慎重にカットを重ねていた。
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 1997年5月14日(水)
朝から今日は雨。天気予報通りだ。でも関係無し、セット撮影だから。さて今日の撮影には今回初登場の役者さんが二人来た。一人は前回の「いつかどこかで」にも出演してくれた津川雅彦さん、そしてご存じハウンドドッグの大友康平さんである。大友さんとはクランクインの日に武道館でお会いしたが出演シーンは無かったので今日の撮影が初ということになる。大友さんは写真を見てもらえばわかると思うがスーツ姿である。どんな役柄かは映画を見てのお楽しみということであしからず。撮影自体は今日もいいカットがたくさん撮れ、小田監督はもはや、早くつないでみたいようである。まあ撮影が終わってしまえばいやでも編集の日々が続くのだ。もう少し我慢してもらおう。
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 1997年5月15日(木)
昨日に続いて今日もセット撮影。主人公、夏目草介の所属するオフィスの撮影である。スタジオ内はまだ冷房が効かないらしくけっこうな暑さになっている。マネージャー役の菅野君などはけっこう汗をかいてしんどそうである。さて今日の撮影だがどれも今回の映画で重要なシーンばかりである。何度もリハーサルをして本番に臨む。昨日に引き続き津川雅彦さんが出演するシーンだ。主役の渡部篤郎さんをはじめマネージャー役の大江千里さん、同じくマネージャー役のキャラメルボックスの加藤昌史さん、菅野君、そして紅一点、大寶智子さんも緊張感を増している。小田監督の演技を見つめる目もだいぶ鋭い。明日も同じオフィスの撮影だ。やっぱり緊張感あふれる一日になるだろう。
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 1997年5月16日(金)
またもや今日もスタジオだ。外はとってもいい天気、ということはスタジオ内の温度もうなぎのぼりである。スタッフはみんな汗だくになって仕事をしている。じっとしていてもジワーと汗ばんでくるくらいだ、役者さんは衣裳を着ているし相当きつそうである。小田監督も首にタオルを巻いて流れる汗をふきつつ「よーい、スタート!」を連発している。ワンカット終わる度、水分を補給するために飲み物の前は人だかりができ大騒ぎだ。さて今日も全出演シーンの終わった役者さんが出た。大友康平さんである。2日間の撮影だったがスタッフをとっても楽しませてくれた。感謝感謝である。次に会う時は打ち上げの席になるだろう。本当にもうすぐ終わりだ。
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 1997年5月17日(土)
今日は今回3度目の府中の森芸術劇場である。プレスの会員の皆さんにエキストラで参加してもらったのも、もう1ヶ月近くも前の事になってしまった。本当に早いものだ。さて今日は楽屋回りの撮影と、劇場のすぐ裏手にある公園でのロケだった。今日の写真はそのロケの時のものである。土曜日ということもあって公園はけっこうな人出だった。撮影は一発でOK、素晴らしい。それから今日はもう1カ所、渋谷でロケである。映画館の前という設定でまたまたプレスの会員の皆さん、200名にエキストラをお願いした。セッティングに時間がかかりだいぶ待たせてしまったが皆さん辛抱強く待っていてくれた。またまた感謝である。本当にありがとうございました。
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 1997年5月18日(日)
今日の撮影でまた「今日でおしまいの役者さん」がたくさん出た。まずは主人公夏目の映画スタッフ役の俳優の方々である。今日の写真は小田監督とその皆さんの記念撮影だ。こちらから見て監督の右隣が角替和枝さん、左が林泰文君、後列左から実近順次君、新井恵美さん、加藤満さん、秋山恭子さん、柳野幸成君、大森南朋君の8名の皆さんである。今まで1ヶ月半の間、毎日のように顔を合わせていたのに急に会えなくなってしまうのは本当につらい。このシーンは午前中で終了してしまい、引き続き午後も出番のある船田役の菅野君も1人残されて「なんだかとってもさびしいっすねー」としみじみ語っていた。その午後の撮影でもマネージャー役の大江千里さんが今日で終了、小田監督とがっちり握手をかわし笑顔でみんなに挨拶をしてスタジオを去っていった。そしてその3時間後、カメラマン役の尾藤イサオさん、さらに津川雅彦さん、大寶智子さん、その後信子のマネージャー役の藤倉みのりさんも今日で終了、ほとんどの方が今日で終了になってしまった。本当にみんなお疲れさまでした。
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 1997年5月19日(月)
いよいよ残すところ撮影もあと今日を入れて4日だ。(雨天順延の無い場合)本当にいよいよである。今日もサヨナラの役者さんがいる。主人公、夏目草介のマネージャー、野口役のキャラメルボックスの加藤昌史さん、同じく船田役の菅野良一君、そして夏目草介本人、渡部篤郎さんである。この日小雨の降る中、渋谷と原宿の歩道での走りのシーンが渡部さんのラストカットになった。テストも含め何回も坂道を走る。小田監督の「OK!!」の声が響きわたりついに撮影終了、小田監督から花束が手渡されその後2人でしばらく抱き合っていた。スタッフの拍手の中「それじゃあ皆さん、打ち上げで会いましょう。」と明るく去っていった渡部さんであった。明日天気が良ければ、中島ひろ子さん、河相我聞君も終わってしまう。それで役者さんは全員終了になる。毎日言っているがとっても寂しい。
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 1997年5月20日(火)
前日から伊豆に入った。夜中に着いた時は星空だったのだが朝起きてみると雨降りである。やはり天気予報は当たったのか、と思いきや撮影準備になる頃からすーっと雨があがった。さらに時折太陽も顔を出してきたのだ。これはわが社の晴れ男、木下マネージャーの功績が大きいのだがとにかく撮影ができる状況になった。伊豆急の今井浜海岸駅というところが今日の撮影現場である。そして今日の主役、中島ひろ子さんと河相我聞君の劇中劇のシーンの撮影が始まった。昼食をはさんで午後4時過ぎに撮影終了、この2人も今日ですべて終了になった。今日の写真は当然これ、小田監督と記念撮影である。これで役者さんの出るシーンはすべて終わった。あとは風景や物を撮影するだけである。空撮もまだ残っている、さあこれからは編集だ、小田監督の多忙な日々は続く。
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 1997年5月21日(水)
朝、早起きが続くのももうすぐ終わる。体はすっかり朝型になってしまったが・・・。さて今日の撮影現場は三軒茶屋にあるTSUTAYAというCDショップとスタジオで行われた。TSUTAYAの営業が午前10時からなのでその前に撮影は済まさなければならない。8時現場入り、エキストラの若者10名ほどに入ってもらい撮影は始まった。カットは1つだけだったのだがけっこう時間がかかってしまい終わったのは9時30分をまわってしまった。それからスタジオに移動だ。今日は俳優さんはいないはずだったが急遽夏目組の小道具役の秋山恭子さんにスタジオに来てもらうことになり彼女が今回最後の役者さんになった。この後空撮の予定だったがまたもや天候不順で延期、やっぱり天気にはたたられる。
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 1997年5月22日(木)
本日撮休。小田監督は午後から事務所に登場、映像を見ながら音楽の構想を練る。その後スタッフと今後のスケジュールについてミーティングをした。いつものことだがやっぱり時間が足りないようだ。編集をし音楽を創りアフレコ、ダビングと作業が目白押しである。「どうしていつもこうなっちゃうんだろう、余裕をもってやってたはずなんだけどなー」とは小田監督の実感のこもった言葉である。明日は天気が良ければ実景の撮影がある。これでほぼ撮影は終了、あとは監督無しで行く撮影だけだ。3月29日にクランクインした撮影もついに終わる時を迎える。長かったようでやっぱり短かった気がする。
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 1997年5月23日(金)
今日は朝に横浜ロケの中止が言い渡された。スカッと晴れた日で撮りたいという小田監督の要望もあって若干の曇り空だったが中止となった。朝8時から自宅でスタンバっていた小田監督、午前中から事務所に登場し、昨日に引き続いて音楽作りだ。とりあえず残った撮影は諸々の事情でずっとあとになる。監督はひとまず編集モードに突入だ。ということは3月28日から始まったこの撮影日記も今日でおしまいということになる。毎日アクセスしてくれた皆さん、どうもありがとう。とは言ってもなにか面白い事があればまた載せていきたいと思っているのでその時までお元気で。監督秘書の船越でした。
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 1997年5月30日(金)
いきなりこんにちは。今日は先日行われた「緑の街」打ち上げパーティーの様子を報告しよう。先日の5月28日、編集作業まっただなかの小田監督、こもっていた編集ルームから会場に直行した。夜6時30分から都内の某ホテルで一次会。仕事の都合で尾藤イサオさん、大江千里さんらが残念ながら欠席となってしまったが、関係者、俳優の皆さんが多数参加してくれてとても盛大な式となった。この写真のあと泉谷さんの音頭で監督の胴上げとなり、おおいに照れる監督の体が何度も宙に舞い上がった。この時点で参加者の心はもう2次会に向かっていたことは否めない。赤坂にあるカラオケにみんなで向かう。やはり主役はこの人、素面で泥酔、泉谷しげるその人だ。自前のギターを2本持ってきたのはやる気の現れである。そしてここで強力な助っ人が登場する。仕事の関係で2次会から合流してきた大友康平さんだ。ビールを一杯飲んだところで早くも呼ばれあいさつ、さらに監督の「一曲!」の声でそのままカラオケタイム。「フォルテシモ」のイントロが流れると場内のテンションは最高潮だ。さらに泉谷さんと河相我聞君のセッション、大友さんのドラムで泉谷さんの「春夏秋冬」とくればもうこの人が歌わないわけにはいかない。場内の全員のコールで小田監督、ついに重い腰をあげた。しかしここからが大変、なかなか始まらないのだ。カラオケのキー、テンポが監督の思い通りにならない。「いいじゃねーか、適当にやりゃーよー」そんな泉谷さんの声など全く気にせず調整に余念のない小田監督であった。そうこうするうちにやっと納得できる状態になったようだ。色々なリクエストが参加者からあげられたがやはりこの曲、「ラブ・ストーリーは突然に」をフルコーラス歌った。感激のあまり踊りだしてしまう者まで出てしまった。この盛り上がりのまま今回の主役、渡部篤郎さんにも歌ってもらうことになる。今回の映画、「緑の街」の主題歌だ。クランク・インの日に武道館で聞いて以来になる。渡部さん、相当照れているようだが曲が始まるとやはり夏目草介になりきっている。この時ばかりは皆黙って聞き入っていた。色々な事を皆思い出していたに違いない。私も色々な撮影のシーンが頭をよぎっていた。この日はこの後もう一軒小田監督は付き合った。珍しく途中居眠りもせず朝の3時までだった。役者の皆さんもスタッフの連中もこの作品に愛情を持ってくれているのがわかったからだろう。「なんとしてもいい作品に仕上げないとな」小田監督の言葉はあらたな決意に満ちあふれているように思えた。
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