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 1997年3月28日(金)
いよいよ撮影が始まる。この写真は、3月27日の夜中(28日の早朝とも言う)の脚本の直しの様子である。結局クランクインの直前までこうなってしまった。しかしこれこそがk.odaのk.odaたる所以である。 明日のクランクインは、武道館のハウンドドッグのコンサートにお邪魔しての撮影になる。5年ぶりにk.odaの「ようい スタート」の声を聞くのだ。非常に楽しみである。ということで、これからほぼ毎日この撮影日記を送り続けていくのでひとつよろしく。監督秘書の船越でした。
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 1997年3月29日(土)
3月29日になった。ついにこの日が来たのだ。クランクインは武道館。この写真はハウンドドッグのスタッフにあいさつをする監督k.odaである。この直後に撮影は始まった。リハーサル時と、コンサートの最中の2回の撮影だったがハウンドドッグのメンバー、スタッフの皆さんの多大な協力を得て、すばらしいカットが撮れたと思う。明日からもハードな日々が続くが、がんばりましょう。最後にこの日、素晴らしい演技で我々を盛り上げてくれた観客の皆さんにも感謝します。
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 1997年3月30日(日)
今日はとてもいい天気だった。にもかかわらず肝心の桜の撮影をする事ができなかった。ロケ場所の桜はまだ開いてくれないのだ。ゆえに今日はここだけの撮影だ。本当は、屋内だけの撮影の予定だったのだが先ほども言ったようにあまりの天気の良さに小田監督、外へ飛び出してしまった。太陽の光を利用しての撮影はやはり気持ちのいいものだ。これからいい季節になるし、楽しく撮影を続けていければ、と思う。
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 1997年3月31日(月)
昨日とはうってかわって非常に肌寒い日となった。午前中の撮影は渋谷のパルコ前で行われたのだがただでさえ人通りが多いこの場所、車や人がひっきりなしに通るのでいろいろ大変だった。そして横浜へ移動。満開の桜の木の下で撮影は行われた。写真ではあまり桜が見えないが、とてもきれいだったのは言うまでもない。 撮影現場には桜の木を写生に来た人がたくさんいたが撮影にはとても協力的で非常にありがたかった。いつもこうだといいのだが・・・・・・・・。
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 1997年4月1日(火)
ついに4月になった。消費税5%だ。今日は伊豆の海辺での撮影である。前日から宿泊して余裕をもって撮影にのぞもうとしていたが、前夜のレコーディングが長引いたため夜中の3時半にホテルに着いた。8時45分には出発だ。眠い。でも他のスタッフも朝6時集合で現場に来たのだから眠いのはお互い様だ。ちょっと風は強いがいい天気。午後から気温もどんどん上がり小田監督すっかり日焼けしてしまった。監督曰く「ゴルフもしてないのに日焼けするのは不本意だ」ということである。次からは日焼け止めクリーム持参になるだろう。 肝心の撮影は順調に進み、小田監督、日焼けした顔をほころばせていた。
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 1997年4月2日(水)
日焼けしたままの顔で今日の撮影に入る小田監督。昨日とはガラリと変わって今日は室内での撮影だ。横浜にある黒沢フィルムスタジオが今日の現場である。主役の渡部篤郎さんとカメラマン役の尾籐イサオさん、2人の最初のシーンだ。この写真は、2人の芝居を見つめる小田監督である。どうやら監督の思い描いてる通りの雰囲気になっている様だ。演技指導にも自然と熱が入る。このまま進めばきっといい映画ができると思う。
 
 1997年4月3日(木)
今日はあいにくの雨模様になってしまった。今回初の撮影中止だ。小田監督は事務所で絵コンテ書きをして4時にラッシュを見に行った。ラッシュとは撮影されたフィルムを現像してスクリーンに映してみることである。従って音はまだ無い。その後ロケハンに行き戻って来た次第である。明日は新宿パワーステーションでの撮影だ。いいシーンが撮れる事を願ってまた明日。
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 1997年4月4日(金)
クランクインからちょうど1週間目になった。早いものだ。アッという間である。今日は昨日も書いた様に新宿パワーステーションでの撮影だ。ファーイーストカフェプレスの購読者の皆さんにエキストラに入ってもらった。この写真は、その皆さんに演技指導をする小田監督だ。前回の映画の時は幻に終わってしまったこの企画がついに日の目をみたのだ。監督の指示通り一生懸命に役割をこなしてくれた皆さんには小田組一同、深く感謝しております。長い時間本当にお疲れさまでした。次回もよろしくお願いします。
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 1997年4月5日(土)
朝、目が覚めてすぐ外を見た。案の定曇り空だ。雨が降っていた跡もある。大丈夫だろうか。不安な気持ちのまま東宝撮影所へ急いだ。今日の撮影は3月30日に撮れなかった桜のシーンから始まる。しかし天気が悪い。セッティングをして役者さんを入れた頃からポツポツ雨が降り始めた。強引にワンカット撮ったところで本格的に降り始めてしまった。待機、セッティングを何回かくり返したが雨はやまず結局この日はあきらめることに。従って今日の写真はみな表情が厳しいのは致し方ない。
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 1997年4月6日(日)
今日も東宝撮影所へ行かなければ。本来ならば撮休(撮影お休みの日)のはずだったのだが、撮り残しの桜のシーンのためスタッフ、役者とも朝9時に集合した。外は無情にも雨。しかも昨日より強く降っている。とりあえずスタッフルームで小田監督はスタッフとカット割りをしながら雨の止むのを待った。しかし雲は通り過ぎてくれず再びこのシーンは後日撮影と言う事になってしまった。桜もだいぶ散ってしまいなかなか辛いところだ。大自然には太刀打ちできない。
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 1997年4月7日(月)
また天気が悪い。いったいどうなっているのだろう。さて今日は川崎にあるガソリンスタンドと横浜の喫茶店での2カ所の撮影だ。曇り空だが雨は落ちてきていない。午前中にガソリンスタンドでの撮影を終え横浜へ移動だ。横浜に到着した頃からやっぱりポツポツ降ってきた。しかし屋内での撮影だったので撮影は続行。あと1カットを残したところで雨足が強まりいったん待機。最後のカットは喫茶店の外からの撮影だったのだ。雨があがるのを待って機材のセッティングにはいる。セッティングをしていたら何という事だろう。雲が流れ太陽が顔を出してしまった。今まで曇ったシーンだったのに急に明るくするわけにはいかない。再び曇り空になるまで待ち時間になってしまう。昨日と同じ様なセリフだが天気には太刀打ちできない。
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 1997年4月8日(火)
ついに晴れた。桜が撮れる。花びらは多少少なくなってしまったものの絶好の天気で撮影する事ができた。朝7時には集合して撮影した甲斐があったというものだ。おかげで1日中眠い。桜の後はバッティングセンターへ移動。バッティングセンターの下はゲームセンターになっており昼食後の休憩の時小田監督と西浦カメラマンと私とでプリクラに挑戦した。できあがった物は監督が持っていってしまい私はまだ見ていない。今日は結局撮影は夜11時頃までかかってしまった。監督もだいぶ疲れが出てきている様だ。ここで頑張らねば。
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 1997年4月9日(水)
今日は撮り残し分の振り替え撮影日となった。午前中しか晴れないと言う天気予報にのっとって横浜の現場へ向かった。午前中で予定のシーンをすべて撮り終え食事となる。しかし今日は一日中ずっと天気は良く、小田監督は日除け用の帽子をかぶりっぱなしだった。今日のこの後の撮影は夜のシーンなのでスタッフはいったん解散となり再び夕方集合となる。撮影は今日も順調に進み、これでほぼスケジュール通りに戻り一安心というところだ。明日は今回初の撮休だ。朝寝坊してやる。
 1997年4月10日(木)
本日は撮影お休み。
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 1997年4月11日(金)
撮休明けの本日、3月31日撮影分のリテイク(撮りなおし)から始まった。幸い今日の撮影場所がリテイク分と同じ場所だったので助かった。ということはまた渋谷のど真ん中での撮影である。朝7時30分から撮影を開始したので最初は人通りが少なかったが終了間際の12時30分頃は大騒ぎであった。今日のエキストラは現役の女子校生が20人ほどで更に大変だった。一度事務所に戻り夕方再び集合だ。バッティングセンターでの撮影。待ち時間に小田監督とキャッチボールをした。今日は夜8時前に撮影は終了。久々に早く帰れる。
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 1997年4月12日(土)
今日は撮影は無い。明日からのセット撮影の下見のためにスタジオへ足を運んだ。スタッフと入念に撮影の段取りをして事務所へ戻った。これから絵コンテ書きだ。翌日撮影分を前日に書かなければいけなくなってきている。時間があれば書きためられるのだが・・・・・・・・。
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 1997年4月13日(日)
セット撮影が始まった。セットのいいところは天気に左右されないことだ。しかし今日はとってもいい天気。出番を待つ役者さん達も皆外でひなたぼっこをしているくらいだ。あまりの暖かさにスタジオ内についに蚊が発生した。何カ所か刺され非常に不愉快である。しかし撮影の方はすこぶる順調。どんどん絵コンテが塗りつぶされてゆく。ところで今日のスタジオはものすごい人だった。役者さんもたくさんいたし、エキストラの人や取材の人がいたりして足の踏み場も無いとはこの事だ。明日もセット撮影が続く。
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 1997年4月14日(月)
今日もセット撮影。昨日のような大人数にはなってない。小田監督、遅れた分の絵コンテをなんとか取り戻そうと少しでも時間が空くとコンテ用紙に向かう。昼食後は役者さんの芝居の確認作業から始まる。小田監督の演技指導振りもすっかり板について、役者の皆さんからの質問にも適切に答えている。この日は夕方、撮影終了後にラッシュがあった。音のある部分はいいのだが、音が無くしかも夜景のシーンのところでは時折、意識を失いそうになった。また明日も朝が早い。
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 1997年4月15日(火)
さ、寒い!桜も散ってもう春だというのになんと言うことだろうか。屋外での撮影だったのでこれはこたえた。季節外れのストーブも登場したが焼け石に水であった。そんな中、泉谷さんはとっても元気だ。小田監督が「泉谷、セリフも無いのにわりーなー」と今日の出番は座っているだけで一切セリフの無い泉谷さんに声をかけると「いいのいいの、俺、セリフ嫌いだから。気楽でいいや。」と笑顔で答えてくれた。いい人である。真冬の様な外からスタッフルームへ戻るとそこはパラダイス。何だか体中の力が抜けてヘラヘラしてしまう。明日も寒いのだろうか。寒いのはもういやだ。
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 1997年4月16日(水)
今日の撮影は夜だけの予定だったが、ロケハンや打ち合わせが入ってしまい結局午前中から行動開始となった。そしていよいよ夜の撮影に入る。今日は電車の車内のシーンだ。京浜急行の回送電車の一部を借りての撮影となる。小田監督と西浦カメラマンと共に家路に急ぐ人々でごった返す品川駅から電車に乗り込んだ。目指すは監督の生まれ故郷、金沢文庫である。この写真は金沢文庫の駅のホームで芝居の確認をする監督と中島ひろ子さん、藤倉みのりさんの御両人だ。限られた時間の中で撮らなければいけないので準備には念を入れるのだ。もちろんこの日の撮影も大成功。再び京浜急行に揺られて監督と帰った。
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 1997年4月17日(木)
本日は撮休。事務所でTOKYO WALKERの取材を受ける。監督はその後自室で絵コンテを書いていた。明日の撮影は大事なシーンだ。長丁場になると思われる。屋外なので寒さ対策は万全にしておこう。
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 1997年4月18日(金)
今日の撮影は夜からスタート。アウトサイドレストランのシーン、屋外である。日中は暖かったがさすがにだんだん冷えてきた。ホカロンを用意してきて正解だ。小田監督もダウンジャケットを持ってきていた。供えあれば憂い無しである。夜中の1時を回ったところで夜食になった。渡部さんからの差し入れのうどんである。これは冷えた体にありがたい。つかの間の休息の後は夜が明けるまでがんばるのだ。と思いきやなんとポツリポツリと雨が降ってくるではないか。この雨はしばらく止まず、我々は待機を余儀なくされてしまうのである。
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 1997年4月19日(土)
結局夕べは雨が降り止まず、数カットを残し明け方撮影中止となってしまった。雨の中機材をかたづけるスタッフ達も無念そうである。朝解散して夕方からはロケハンへ行かなければならない。なかなか休むことのできない小田監督である。明日はいよいよ府中の森でエキストラの方を2000人集めての撮影だ。無事撮影が終わることを願ってまた明日。 
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 1997年4月20日(日)
本日の撮影は府中の森芸術劇場というホールで行われた。コンサートで一度来たことのある会場である。コンサートシーンの撮影のため、新宿パワーステーションに引き続きプレスの会員の皆さんにエキストラで参加してもらった。日本全国から自費で府中に集まった1600人だ。約5時間の長い撮影だったが、みんなよくがんばってくれていた。本当に感謝している。どうもありがとう。撮影の方は時間切れで1シーン残してしまったがその他のカットは「いいカットが撮れたよなー」と小田監督も言っていたので御安心を。まだまだ撮影は続くが、今日の様にいいカットを積み重ねていければ、と思う。
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 1997年4月21日(月)
今日も府中にいる。昨日の残シーンの撮影である。主演の渡部篤郎さんと中島ひろ子さん、2人だけの芝居だ。昨日はあんなににぎやかだったホールが、違う場所のようである。今日の写真は自分達の芝居をチェックする主演2人と監督の図である。このシーンを撮り終えた後は、暗くなるのを待ってホールの表玄関で撮影だ。昨日エキストラの皆さんに並んでもらった場所である。なんだかやっぱり冷え込む。明日は撮影終了後、中打ち上げという事で軽い飲み会がある。スタッフ達ともだいぶ打ち解けてきたが、ここで一気に打ち解けまくりたい小田監督だ。
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 1997年4月22日(火)
軽い飲み会のはずがすっかり盛り上がってしまった。今日は午前中に明日からのセットのチェックがあり、それから撮影だった。尾山台商店街というところでのロケ撮影だ。日中ということもありおばちゃん達がたくさんいた。そんなおばちゃんの「何の撮影?」「誰が出てんの?」攻撃をかわしながら無事撮影は終了。そして冒頭の盛り上がり宴会になだれ込んだのだ。スタッフはもちろん、今日出番の無かった役者さん達も大勢参加してくれた。やはり小田監督は人気があり監督のまわりは人が絶える事がなかった。明日も撮影があるというのにこんなに盛り上がって大丈夫だろうか。でも小田監督はとても嬉しそうだった。
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 1997年4月23日(水)
午前中の撮影現場がとても静かだ。スタジオ内はけっこう人が多いのにだ。どうやら昨日ガンガンいってしまった人が多数いたようである。でもさすがに遅刻する人はいなかった。小田監督も昨日はけっこう飲んだようだったが、集合時間前にはスタジオ入りしていた。今日はセット撮影である。中島ひろ子さんとマネージャー役の藤倉みのりさんの2人の芝居がメインだ。カットが変わるたびに小田監督は2人に声をかけ芝居の確認をしていた。ところで今日は夕食の前に東京FMのラジオの収録があり、スタジオの衣装ルームを借りて行われた。この模様は今週の日曜日に放送されるらしいので要チェック。
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 1997年4月24日(木)
今日もセット撮影。昨日、夜中の1時過ぎまでかかってしまったので、今日は10時開始だった。今回色々な面でお世話になっている、劇団キャラメル・ボックスの方々のダンスシーンから撮影は始まった。昼食後、衣裳を変えて再びダンスシーン。その後は中島ひろ子さん1人の芝居になる。激しい動きの無い分難しいカットだ。そんなカットを無事撮り終えて夕方6時からラッシュがあった。どんどん増えてゆくラッシュをみているとまだまだ撮影は続くが着実にゴールに近づいていることを実感する。
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 1997年4月25日(金)
いい天気だ。今日は午前中に表参道でロケ撮影があった。この時期、木々の緑がちょうどいい頃合になり、まさにタイトル通り「緑の街」になっている。その後撮影所に移動、所内の道路上での撮影になる。上着がいらないくらい暖かい。日差しもかなり強く、小田監督もサングラスを手放せない。夕方いったん撮影終了。この後暗くなるのを待つ。6時30分に準備を開始したのだが、上着を着てホカロンを持っても寒い。こんなに気温差があるのか、と思う位だ。小田監督、昼間とはうって変わってマフラーをしている。用意がいい。今日の写真は林泰文君と芝居の確認をする小田監督。大事なシーンなので慎重だ。
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 1997年4月26日(土)
今日は渡部さん演じる主人公、夏目の部屋の撮影である。横浜の外人墓地の近くにある洋館で撮影は行われた。今日もすこぶるいい天気。でも窓の外は大きな黒い布でおおわれている。すべて夜のシーンだからだ。そして本当の夜になったら布を取り外す。夜も更けて11時過ぎ、今日のメインイベント、雨のシーンの撮影が始まる。大量の水を一気に降らせるのだ。こんな時間はもうとっても寒い。外にいるスタッフは大変だ。かっぱを着てずぶぬれになっている。しかしおかげでとてもいいシーンが撮れた。終了時刻は1時を過ぎていた。
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 1997年4月27日(日)
今日は日曜日の朝ということもあって道が空いている。にもかかわらず集合場所から撮影現場までえらく時間がかかってしまった。私が道を間違えたからだ。現場に着くと当然ビリ。小田監督の目がこわかったのはやむを得ない。この日は川崎のオフィスビルとファンハウスの社屋をお借りしての2カ所の撮影となった。今日の写真は大江千里さんと劇団キャラメルボックスの加藤さん、西川さんの3人と芝居の打ち合わせをする小田監督の図である。3人の芝居は「乱闘になりかける」というシーンなので勢いが大事だ。大江さんの怒鳴る声が響きわたる。ファンハウスの社員の皆さんもエキストラとして大勢参加してくれた。思っていたより早めに撮影は終了。やはり勢いが良かったようだ。
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 1997年4月28日(月)
朝、集合場所へ着いたとたん雨を感じた。今日の撮影は是非晴れていてほしかったのだが・・・。出発時刻になる頃には、スタッフの顔はみな曇っていた。チーフ助監督の武田さんが昼間の撮影の中止を告げ、いったん解散となる。夜のシーンは雨さえ降らなければ撮影できる。夕方再び連絡を取り合おうということで小田監督は事務所へむかう。休んではいられない。絵コンテを書かなければ。外を気にしつつ連絡を待つ。夕方4時30分電話が鳴った。「天気予報では10時頃までやまないということで中止にします」結局今日は1カットも撮れなかった。写真は落胆の色を隠せない社長室の小田監督である。今日は絵コンテを書く時間がたっぷりとれた。
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 1997年4月29日(火)
今日は何だか朝から天気が良すぎる。昨日が今日だったら完璧だったのに。今日の撮影は一日中ファンハウスにて行われた。今回特別出演の武田鉄矢さんの出演シーンがメインである。全館を撮影のために開放してくれたので非常にスムーズに撮影は進んだ。久しぶりに鉄矢さんに会った小田監督はもっぱらゴルフの話で盛り上がっていた。朝8時から準備を開始して撮影終了は夜11時を少しまわった頃だった。今日の写真は薄暗いスタジオで撮ったので画質が悪いのは仕方がない。あしからず。
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 1997年4月30日(水)
本日撮休。しかし小田監督はテレビスポットの編集とカット割りの作業がありやっぱり休めず。明日は朝6時30分集合だ。もう10時だ、早く帰ろう。
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