このページは、さあ、みなさんご一緒に!「あの日・あの時・あの場所で…!」失礼 しました。ある日のアノひとがみれます。ちょっと、覗いてみて下さい!

以前の日記

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 2000年7月30日(日)
さて金沢は、というと昨日より暑いかも。もうどうにでもして、という気分だ。しかもホテルに森総理が来るというのでなんだか人は多いし、日曜日でコーヒーショップは満員だし早々に炎天下の街に出た。そしてご当地の最後にはやけのやんぱち日焼けのなすびで内灘の海岸へ行った。K.ODAの大好きな「ピチピチのお姉ちゃん」でいっぱいだったがなにしろ、服を着てるのは我々のみということで思い切り海岸で浮いている。しかも砂の照り返しで目も開けていられないくらいだ。更にその後海岸をかなり大きな砂嵐が襲い、パラソルは吹っ飛ぶし、一寸先は闇というくらいの大変な突風が吹き荒れた。しかし我が御当地班は「しめた、ネタになる」と思い、突風の中ニヤニヤしていたことを付け加えておく。
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 2000年7月29日(土)
本当に爆発だ。暑いの暑くないのってどっちなんだよ!と怒りたくなるくらいの暑さだ。「フェーン現象」というやつらしいが富山はしこったま暑い。撮影で大汗かいて移動の車の冷房で冷えてまた汗かいての繰り返しだ。これならいっそ冷房無しの方が体にはよさそうだがそうも言えないくらい暑いのだ。つかの間のクーラーにこのうえない幸せを感じてしまう。この日の富山の最高気温は37℃。体温以上だ。御当地の最後の路上ライブは芝生の上で行ったので更に暑さが増していたことだろう。しかしこの熱気がコンサートまで続いた。富山のお客さん達はとても熱かった。拍手がなんだか温かいのだ。コンサート終了後も我々の乗ったバスにいつまでも手を振っていてくれた。本当にありがとう。
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 2000年7月27日(木)
東京2日目。会場に向かう途中で車から外を見ると世間はとっても暑そうだ。こんな中で御当地の撮影をしていたんだな、と思うとなんだか普通に会場入りするのがとっても手抜きをしているように思えてくる。昨日よりも早くリハーサル開始。その分、開演までとっても時間がある。バンドの皆さんも暇を持て余してしまったか、キーボードの栗ちゃんは台車をボードに見立てて楽屋の廊下を走っていた。そしていよいよ2日目のコンサートが始まった。昨日同様、今日も長いライブである。コンサートが終わると今日もゲストの方々への挨拶。その後打ち上げの意味で日比谷のイタリアンレストランへ行く。しかしバンドの皆さんは車で来ていたため、アルコールはほとんど飲まれず、おとなしい打ち上げとなった。さて次は暑さ爆発の北陸に出発だ。
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 2000年7月26日(水)
東京公演が始まった。御当地は各地の総集編を流すので撮影は無い。が、その編集が当日の夜中の2時までかかってしまった。もちろんK.ODAも一緒であった。神戸から10日間コンサートが無かったので久しぶりにバンドの皆さんに会う。トラブルもありだいぶ遅くなってからリハーサルが始まった。久々なので念入りにリハをするかと思ったがあっさりと終わった。しかしコンサートはあっさりとは終わらなかった。結局、夜の10時近くまでコンサートは続いた。更にゲストの皆さんが大勢お見えになり、30分挨拶してまわるK.ODA。会場を出たのはもう11時近くになってしまった。さあ明日もがんばらねば。
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 2000年7月16日(日)
神戸二日目。今日もやっぱり暑い。しかもホテルのコーヒーショップが満員で朝食抜きで御当地に出かける。そのうちどっかで食事しようと思ってはいたがいざ撮影が始まると、ネタになりそうな場所を探してしまい、なかなか決まらない。ようやく元町の大丸のレストランに決めて行ってみたが長蛇の列で諦めざるをえなかった。こうして撮影が進むにつれ暑さで食欲も無くなり、結局まったく食事無しで会場入りするはめになってしまった。楽屋でバナナを食べてなんとか栄養補給をするK.ODA。以前だったらまったく食事抜きでコンサートに突入していたと思うが、さすがにそれはまずいということでこのツアーではリハ前に必ずK.ODAはバナナを食べることにしているのだ。この日は日曜日ということでなんと開演が午後5時。こんなに早い開演時間は私は記憶が無い。コンサート終盤でもまだ外は明るかったのではないだろうか。明日は19日ぶりに家に帰る。長いツアーであった。
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