このページは、さあ、みなさんご一緒に!「あの日・あの時・あの場所で…!」失礼 しました。ある日のアノひとがみれます。ちょっと、覗いてみて下さい!

以前の日記

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 2001年7月15日(日)
新潟もやっぱり暑い。競馬場シリーズ第3弾!今回は新潟である。昨年のツアー中の阪神。暮れの府中。そして今回と三度目の競馬場ライブである。阪神は土砂降りの雨、府中では出走直前の馬から騎手が落馬、そのためあわやライブ中止か!?というところまでいっており「今回も何かあったりして」と冗談を言っていたら何のことは無い、何かが起こってしまった。競馬場ではレースとレースの合間に他の競馬場でのレースも中継している。もちろん馬券も買うことができる。その中継先でトラブルが発生してしまった。また騎手が落馬してしまったのだ。そのためこちらはスタンバイOKだったのだが段取りが狂い、いったん引っ込む。何しろ競馬場は秒刻みで物事が進んでいるのだ。結局は色んなことが前後してようやくK.ODAの出番となった。いったん出てしまえばあとはK.ODAの独壇場。いつものように大きな拍手をいただいてK.ODAの出番は終わった。この後は帰りの新幹線の時間のこともあって慌しく競馬場を後にした。
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 2001年7月7日(土)
ついに最終日を迎えることになった。横浜である。みなとみらいにある会場のドッグヤードガーデンには朝から多くの人が集まっていた。ここは屋外ということもあってチケットが無くてもK.ODAを見ることはできる。土曜日の七夕ということでこの界隈はかなりの人出だ。もう丸見え状態なのでK.ODAのリハーサルはなし。かわりに歌うプロデューサー木下氏がマイクチェックを行う。松山千春さんの物まねも交えて自慢ののどを披露した。聞いていたお客さんに割れんばかりの拍手をもらいすっかり照れる木下氏。あたりが薄暗くなった午後7時過ぎK.ODAがステージに登場した。ドッグヤードの下と上からと大きな拍手と歓声に包まれる。今までの5ヶ所でのトーク&ライブと比べてやはり屋外でのイベントなので開放感が違う。大勢のお客さん、そして今日集まってきた多くのスタッフ達の前でこの初の試みは終了した。打ち上げはやはり中華街だった。
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 2001年7月4日(水)
仙台である。札幌よりは暑いが全然しのぎやすい。しかもおとといから仙台に滞在していたのですっかり仙台に慣れてしまった。会場は仙台駅のまん前。アクセスは抜群である。会場入りしてから河北新報とタウン情報紙の取材を行った。取材の部屋から出てきたK.ODA、「これからいっぱいしゃべんなきゃいけないのにしゃべりすぎちゃったぜ」と少し疲れた様子。しかし明日は9日ぶりに東京に戻る。ツアーとしては最後のここ仙台を盛り上げないわけにはいかない。そして案の定そうなった。
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 2001年7月1日(日)
涼しい。すばらしく涼しい。北海道に上陸した。ゆうべは夜にあのビール園に行った。この写真は、そのビール園でのものである。普段のツアーではなかなか行く時間が取れないのだが今回はバッチリであった。北海道在住の虫博士、菅野君も合流してくれた。そして翌7月1日、ZEPP札幌だ。会場に入るとすぐにテレビ収録を始める。夕方のワイド番組である。リハーサルを終えて一息つく間もなく来客があった。北海道と言えばこの人だ、松山千春さんである。「いやーちょっと挨拶に来ただけだべや」そう言って今回もステージ上にK.ODAに担ぎ出されてしまった。しかし地元ネタをふんだんに交えてどっかんどっかん笑いを取っていた。さすがである。今回のトーク&ライブ唯一のゲストになった。
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 2001年6月29日(金)
名古屋から新幹線で大阪へ。「やって参りました、大阪です」と新大阪駅で撮影をしなくてもいいのかという気になったが今回は御当地は無いのだ。会場のMIDホールに着くと、楽屋口の近くの木の枝にスタッフがTシャツを干していた。「おい、西浦こういうの撮っとくでしょう普通」と素通りしてきた西浦カメラマンにK.ODAが言った。「あとで撮るよ」そう言った西浦さんが後ほど行ってみるとすっかり乾いたTシャツはすっかり取り込まれていた。持ち主に頼んでもう一度干してもらう西浦さん。その間K.ODAは取材の嵐だった。
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