このページは、さあ、みなさんご一緒に!「あの日・あの時・あの場所で…!」失礼 しました。ある日のアノひとがみれます。ちょっと、覗いてみて下さい!

以前の日記

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 2002年7月13日(土)
振替公演の米子でのライブ。昨日とはまったく違う今日の天気だ。空は真っ暗だし、そのうち豪雨となった。これが山陰地方特有の天気なのか。今日は撮影が無いのでゆっくりである。午後に食事に出た。ホテルの近くのレストランだ。K.ODAはお腹が空いていたのか、カレーにホットケーキセットまで注文している。案の定「あーもう腹いっぱいだ」とカレーを7割くらい食べたところで私にそのカレーの皿をよこすと今度はホットケーキに移った。腹いっぱいなのにホットケーキも半分以上たいらげている。それを見ていたら私が自分のごはんを残してしまった。暴風雨の中、会場入り。その後雨はすっかり上がったのだから一番ひどい時にわざわざ行ったことになる。さあいよいよZEPP福岡に続く延期公演が始まった。2ヶ月間、お待たせしました。
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 2002年7月12日(金)
2度目の米子。昼過ぎに米子空港に到着した。前回とは違っていい天気だ。さっそく御当地の撮影に入る。天気はいいが風は心地よく絶好の御当地日和である。空港近くのJRAに行ったが警備のおっさんがいっぱいいて、あっちへ行くな、ここへは入るなとうるさい。「woh wohと言ってもダメですね」とはK.ODAのコメントだ。午後4時に会場に入る。稲葉さんと栗尾さん、そしてK.ODAの3人編成のトーク&ライブである。前回の5月10日のライブに来てくれた皆さんをご招待したライブだ。会場にはあの日のK.ODAを見た皆さんが約9割5分はいらしていたであろうか、ものすごい出席率だ。当初、我々スタッフとしては約90分のステージを予定していたのだが、終わってみれば何の事は無い、2時間を越してしまった。演奏とトークは半々くらいだったであろうか、客席からの質問コーナーもあったりして和やかな雰囲気でライブは終了した。その夜、スタッフも合同で居酒屋で打ち上げだった。思い出の多い米子である。
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 2002年7月6日(土)
広島もあっという間に2日目だ。この日は昼間に撮影は無い。ゆっくり会場入りだ。会場に向かう途中、眼鏡屋さんに寄る。K.ODAの眼鏡の紐が壊れたので購入するためだ。ただの買い物なのについカメラアングルを考えてしまい、すっかり御当地が染み付いている今日この頃だ。ライブは、というと当然のことながら熱いライブだった。土曜日ということもあり、お客さん達もとことん行こうという気構えでいたのだろうか。昨日は初めてのお客さんが多かったようだが、今日はそうでもなかったようだ。なぜなら、K.ODAが話の流れから「老人のつぶやき」を歌い始めた時、K.ODAよりも場内の皆さんのほうが歌詞をよく知っていたのだ。帰りのタクシーの中で「なんであの曲をあんなに知ってんだろう」とK.ODAがしみじみ語っていた。
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 2002年7月5日(金)
昨日、金沢から電車を乗り継いで広島に入った。4時間かかった。そのまま広島駅から御当地の撮影だったのでさすがにK.ODAも私もヘトヘトになった。しかし今日はもうすっかり元気だ。昼間に撮影。会場に自転車で入ろうとしたが修学旅行の女子中学生に「あ、キラキラの人!」と言われて追いかけられてしまい、すっかり撮影が頓挫してしまった。それでもなんとか振り切って撮影を続行したが、今度は会場前で見つかってしまい逃げるように楽屋に入った。楽屋に下りるエレベーターの中で息を切らしながらK.ODAと思わず吹き出してしまった。
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 2002年7月3日(水)
金沢2日目。今日はなんと終演後にテレビの収録が予定されていた。思い返せば10年くらい前にフジテレビの「FNS歌謡祭」に出演した時もここ、金沢の厚生年金会館の楽屋でインタビューをしたはずだ。巡り合わせである。今日の収録はNHKの「音楽旅人」というあの笑福亭鶴瓶さんがホスト役の番組だ。鶴瓶さんはライブもしっかり見た上で終演後、22時から23時過ぎまで楽屋で対談をした。あいにく部屋はカメラやスタッフで一杯で入ることが出来なかったが、漏れ聞こえる笑い声では、かなり活発な対談だったのではなかろうか。終了後、バンドの皆さんが待っていてくれた打ち上げ会場に鶴瓶さんも合流して、楽しい時間を過ごした。本当に気さくで楽しい鶴瓶さんであった。
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