このページは、さあ、みなさんご一緒に!「あの日・あの時・あの場所で…!」失礼 しました。ある日のアノひとがみれます。ちょっと、覗いてみて下さい!

以前の日記

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 2001年10月15日(月)
今日からスタジオを移動しての作業になる。スタジオからはレインボーブリッジが間近に見えてなかなかのロケーションである。しかしずっと景色を眺めているわけにはいかない。この日から2週間後にはすべてのレコーディングが終了していなくてはいけないのだ。毎日、「今日は是が非でもここまで進んでおかなければいけない」というノルマが課せられており、厳しいレコーディングになることは想像に難くない。プロデューサーK.ODAも基本的にはバンドの意志を尊重しつつも言うべきことはきちんと伝え、そこでまた議論が始まったりしてなかなか刺激的なレコーディングになっている。いったいどんなものができあがってくるのであろうか。期待したい。
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 2001年10月7日(日)
ついにファーイーストクラブバンドの2枚目のアルバムのレコーディングが本格的に始まった。幾度とないミーティング、プリプロリハーサルを経て今日からレコーディングスタジオでの日々がスタートしたのだ。なにしろバンドのメンバーが最低でも1人2曲持ち寄っているし、K.ODAの曲も収録されるので曲数が多い。時間はいくらあっても足りない。早速演奏に入る。しかしそこは実力者揃いの我がファーイーストクラブバンドの面々である。素晴らしい演奏だ。K.ODAも「うまいなー、よくあんなの弾けるよなー」と感心するばかりであった。そしてこの日、ギターの稲葉さんがK.ODAの誕生日のお祝いだと言ってケーキを差し入れてくれた。奥さんの手作りらしい。これはそのケーキをいただいてご満悦のK.ODAだ。さあこれからは過酷な日々が始まる。体に注意して素敵なアルバムを作って欲しいと思う。
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 2001年9月12日(水)
この日、あの、世界中を震撼させたアメリカでの同時多発テロが起こってしまった。スタジオ内も一時はレコーディングそっちのけでテレビにくぎ付けになってしまったのも止むを得ないであろう。そしてこの日、正確に言えば11日の真夜中、サトル君の作業はすべて終わった。男の切なさが聴く人の胸を打つ素敵なラブソングが生まれた。私はこの曲を自分のカラオケのレパートリーに加えたいと思ったほどだ。明日もトラックダウンの作業は残っているがサトル君は大阪でイベントに出演するために欠席になる。すべてK.ODAにお任せとなった。この日帰る時「なにかあったらすぐ連絡くださいね、飛んで帰ってきますから」と言っていたサトル君。今回のK.ODAとのレコーディングで多くのことを学んだに違いない。皆さんもこれからの坂本サトル君にどうぞ注目して下さい。
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 2001年9月10日(月)
ファーイーストクラブバンドのメンバーがスタジオに全員集結した。サトル君のレコーディングに参加するためであろうか。いや違う、実は記念すべきファーイーストクラブバンドの2枚目のCDを作るためのミーティングに全員集まったのだ。
最近のバンドのライブでは新曲も数多く演奏されている。曲のストックはたくさんあるようだ。K.ODAも前回のように曲を書き下ろすのだろうか。いったい今度はどんなアルバムになるのだろう。かなり楽しみである。
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 2001年9月5日(水)
長きに渡った我が社のスタジオでのプリプロを終えて今日から都内のスタジオに入る。佐橋さんのギターのダビング、万作さんのドラムと山内さんのベースのダビングもある。K.ODAは今回は自分が歌わなくてもいいのでとっても気が楽な様子である。しかしサトル君は未だに完璧な歌詞にたどり着いていない。「できました」と言ってK.ODAに見せる様子はテストの答案を見せている生徒と先生のようで見ていて面白い。しかし何度も答案をつき返されてすごすごと戻っていく姿は見ている者の涙を誘う。でもこの調子ならきっと素晴らしい歌詞が生まれるに違いない。
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