このページは、さあ、みなさんご一緒に!「あの日・あの時・あの場所で…!」失礼 しました。ある日のアノひとがみれます。ちょっと、覗いてみて下さい!

以前の日記

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 1997年11月26日(水)
朝、部屋の電話が鳴った。「今日は中止です。」やっぱりである。この日はバンド、スタッフ合同の野球大会が催される予定であった。しかし夕べから激しい雨が降っておりほぼあきらめてはいた。急遽御当地紀行の撮影に街へ出かけた。しかも今日は夕方、またまたまたまた四国へ行かなければならない。松山での舞台挨拶である。というわけでこの写真だ。船田役の菅野君である。彼は愛媛大学の学生ということで松山に住んでいる。事前のプロモーションでもおおいに協力してくれてこの日も舞台挨拶に駆けつけてくれたのだ。船の都合で舞台挨拶後すぐに会場を出なければいけない我々を玄関で見送ってくれた。とってもいい奴だ。松山の皆さん、菅野をよろしく。ちなみに「すがの」と読みます。
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 1997年11月25日(火)
またまたまた瀬戸大橋を渡ってしまった。松山から約2時間40分の列車の旅、そして岡山から車で倉敷へ。駅前に新しくできたというチボリ公園へ行ってみたがあいにくお休み。昨日の松山とはうって変わって閑散とした御当地紀行になった。会館のすぐ近くにあるアイビースクエアで食事をした。スパゲッティに海苔がのっかっていることが許せないK.ODA。全部よけて食べる。食後に急遽神社へ、地元の阿智神社だ。小動物園と書いてあったので行ってみると、チャボ、にわとり、日本猿の檻しかなくそのうちの日本猿の檻はもぬけのからであった。にわとり園である。さてこの写真、楽屋でのひとこまだが衣裳のズボンのアイロンを待つの図である。上はすっかり着替えているのが素敵だ。
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 1997年11月24日(月)
三度目の四国だ。今日はとってもいい天気。松山市在住の「緑の街」で船田役をやった菅野君も一緒に御当地紀行にでかける。さてこの写真、K.ODAがどこにいるかわかりづらいかもしれないが、松山の待ち合わせのメッカ、ラフォーレの前である。この後松山城、総合公園、松山駅などをまわる。祝日ということでどこも人出がすごい。この日もコンサート終了後、風の顔ランドの子供達が楽屋を訪れた。一人一人のトレーナーの背中にサインするK.ODA。四国最後のコンサートはこうして終了した。
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 1997年11月22日(土)
またまた瀬戸大橋を渡る。岡山から新幹線で小郡まで行った。久々の山口でのコンサートだ。あいにくの空模様だったが、時折空に虹がかかりなかなか綺麗であった。会館のすぐ裏手にあったザビエル聖堂は火災で焼けてしまい新しいものが建設中だった。さてこの写真、K.ODAの顔がちょっと変だが他に無かったのでこれになった。バックにあるのは瑠璃光寺というお寺の五重塔である。コンサートの方はというと久しぶりということもあり、とても盛り上がっていいコンサートだったと思う。
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 1997年11月21日(金)
再び四国へ戻ってきた。高松だ。イベンターの宮垣さんが駅で待っていた。御当地紀行へさっそく出かける。前回は栗林公園へ行ったので今回は屋島へ行くことにした。ロープウェイがあったので乗ってみた。誰もいない。貸し切りだ。徳島の眉山同様人っ子一人いない。しかもロープウェイを降りてから歩く歩く。でも誰にも会わない。今日発売になったベストアルバムのヒット祈願の瓦投げをして下山した。途中、源平合戦の古戦場の展望台で撮った写真がこれである。むこうに去年の夏のイベントで訪れた志度町が見えている。(らしい)そんなこんなで思ったより時間をオーバーしてしまい、会場入りがだいぶ遅れてしまった。スタッフ達はさぞあせっていたことだろう。
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