このページは、さあ、みなさんご一緒に!「あの日・あの時・あの場所で…!」失礼 しました。ある日のアノひとがみれます。ちょっと、覗いてみて下さい!

以前の日記

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(c) Far East Club 無断転載を禁じます。
 
 2005年11月22日(火)
昨日から新潟に登場していた。コンサート会場の新潟フェイズでリハーサルを行ったためだ。そしてこの日本番を迎えた。昨日はリハーサルだったのでステージに楽器が並んでいただけで殺風景だったが、今日は照明もついてるし会場に座席もあってちゃんとライブ会場になっている。同じ場所とは思えないくらいだ。午後7時開演。ステージに近いところは椅子があるが後ろはスタンディングだ。ステージが見えづらい方々もいただろうと思う。すいません。ライブは来週のスーパーアリーナを想定したメニューになっており、新曲もお目見えした。結局通常通り3時間のライブになった。スタンディングの皆さんはグッタリだったはずだ。しかもK.ODAが会場を後にする時、寒いのに外でずっと見送ってくれた。本当にありがたいことである。
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 2005年11月20日(日)
寺岡呼人さんのイベントに参加した。昨年から声をかけてもらっていてついに今年実現したのだ。寺岡さんからリクエストされた曲(K.ODAの曲)をK.ODAが1人で歌ったり、あるいは寺岡さん、また共演のスキマスイッチの大橋さんと一緒に歌ったりした。会場の品川ステラボールは1階がオールスタンディングでぎっしり満員だった。約2時間20分のライブを終えて打ち上げ会場に移動したのはもう10時過ぎだったがここからかなり盛り上がってしまった。バンドで参加してくれた佐橋さんもいる。K.ODAのまわりをミュージシャンが取り囲む。私からもうK.ODAの姿はまったく見えない。明日午前中に新潟に移動しなければならないのだが日付が変わってもまだまだ話は尽きなかった。
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 2005年11月6日(日)
2年ぶりの台湾公演当日を迎えた。ホテルで食事をしていたらお店の女性に「今日はコンサートですね、がんばってください」と英語で言われたK.ODAである。ホテル中の職員がK.ODAのことを知っているようだ。会場に着くとさっそくリハーサル。スタッフは昨日から様々な機材トラブルがあり緊張気味だ。K.ODAも今までの中国語の特訓の成果が今日、ついに試されるとあって珍しく緊張した顔をしている。7時開演予定が20分遅れていよいよコンサートが始まる。オープニングの映像も今回用にちゃんと中国語にしたものを用意した。「君住む街へ」の中国語は途中で間違えてまたやり直したりしたがそれもまた大うけだ。日本と同じである。3時間を大きく越えてコンサートは終了した。泣かないつもりだったK.ODAだがやっぱり号泣してしまった。
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 2005年11月5日(土)
さあ、台湾御当地紀行に出発だ。土曜日ということもあり、台北の街はかなり賑やかだ。今回も私以外にご存知西浦カメラマン、そしてスチールのカメラマンが2人の計4人のカメラマンを従えての撮影になったK.ODAだ。めちゃくちゃでかい台北駅から撮影をスタート。K.ODAを4人のカメラマンが狙うのでかなり目立つ。そのせいか行った先々で注意されまくった。だが当のK.ODAは日本語、英語、そして中国語を駆使してしゃべりまくっている。最後は台湾の地下鉄に乗って淡水というところまで行った。もう夕日が沈みかけていたがそのおかげでとてもきれいな画像が撮れた。
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 2005年11月4日(金)
今日はみんなは観光の日。だがK.ODAは1日中取材だ。午前11時にスタート、ラジオの収録から合同記者会見、テレビの収録などスケジュールがぎっしり詰まっている。途中、30分ランチ休憩があっただけで終わったのは午後6時であった。当のK.ODAはにこやかに同じような質問が続いてもしっかり答えていた。急に「中国語でコメントを」と言われて原稿を渡されても流暢に喋っているのを見ると特訓の成果がこんなところにも表れているなあ、と素直に感動した。
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