このページは、さあ、みなさんご一緒に!「あの日・あの時・あの場所で…!」失礼 しました。ある日のアノひとがみれます。ちょっと、覗いてみて下さい!

以前の日記

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 2000年10月4日(水)
大阪2日目。ついに今日で御当地の撮影が終わる。武道館では総集編を流すからだ。思い返すと色んな思い出が蘇るが今日の撮影、編集、そしてコンサート本番での上映が終わらなければまだまだホッとするわけにはいかない。しかしこの大阪は毎ツアーで4公演づつやっている。それが御当地という企画が始まってからは3ツアー目だ。つまり12公演分御当地の撮影をしたことになる。1日5ヶ所まわるとして60ヶ所。ダブっている所を除いても45ヶ所は行っているだろう。我ながら驚く数である。イベンターの吉田君も「いよいよネタが尽きてきました、どないしよ」とこの日も困っていたのだ。そんな我々が最後に訪れたのはミナミだった。ここで前回、3年前のツアーの御当地で豚マンを作らせてもらった蓬莱へ行く。最初はただ食事をして帰ろうとしたが、偶然表で前回豚マン作りを指導してくれた宇山君を見つけて懐かしそうに駆け寄るK.ODA。「懐かしいねー、元気?」「あっ!!お久しぶりですうー」K.ODAと握手しながら宇山君もかなりびっくりした様子だ。あっという間の再会だったがなんだかとってもいい感じだった。最後は楽屋にいたバンドのメンバーを呼び出して全員で路上ライブをする。フェスティバルホール裏の橋の上である。最後にバンドの皆さんに協力してもらいとても素敵な画が撮れた。さあ早く編集しなくちゃ。
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 2000年10月3日(火)
最後の旅だ。大阪である。5月以来だ。「次に大阪へ来る時はもうツアーも終わりだよなー」と当時思っていたがその日がやってきたのだ。しかし空がきれいだ。抜けるような青空と様々な形の雲。この空はなかなか見ることはできない。御当地の撮影でもついつい空を入れたくなる。そんな中、千里の万博公園まで足を伸ばしてみる。とてつもなくでっかい太陽の塔が我々を出迎えてくれた。私は1970年当時まだ6歳で大阪万博へは行かなかったが本やテレビでいろんなことは知っていた。「なぜなに万国博」というドラえもんが万博を案内してくれる本を買ってもらいすみずみまで読んだ記憶がある。なのでこの太陽の塔を実際見るとちょっと感動した。だが我々の真の目的は違った。実は前回5月に大阪に来た時にK.ODAが新聞の切り抜きを朝食の場に持ってきた。「ここどうかなー」もちろん御当地の撮影場所のことだ。それは万博公園内に新しくできた「ソラード、森の空中観察路」というものだった。だがあの時は行く場所がもう決まっていたし千里はけっこう遠いので「じゃー次回に行きましょう」ということにしていたものだ。そしてこうしてやってきたのだ。さっそくソラード内に入った。まわりは森だ。その中をずーっと橋がかかっている。写真をご覧いただければ雰囲気はわかるであろう。K.ODAが「まわりがうっそうとし過ぎて高さを感じませんねー」と言ったがその通りである。しかも最後に「これは長い長い歩道橋という感じですかね」と言って締めくくった。私も同感であった。
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 2000年9月29日(金)
ついに九州地区の最終日を迎える。御当地ではキャナルシティー、ホークスタウンなど新しいスポットを重点的にまわる。ホークスタウンのゲームセンターではバッティングマシンに挑戦した。初めはK.ODAも少し慎重でだいぶ球の遅い場所を選んだ。しかしそれはあまりに遅すぎて返って球にバットが当たらない。20球の規定打球を終えたK.ODA、もうすっかり撮影していることを忘れている様子。「ちょっと、もう1回な。あれーおかしいなー、ちくしょー」場所を変えてだいぶ球の速いところに入るK.ODA。今度はけっこう速そうだ。初めこそ速さに戸惑っていたが5球目あたりから快音が響き始めた。「三遊間のヒット!」「センターオーバー二塁打!」「センター前抜けたー!」1球打つたびにK.ODAの実況が入る。なぜかすべてヒットだ。こうして更に20球打ったK.ODAはハーハー言いながら「けっこうきますねーこれは。しかし面白かったー、1日いてもいいなーここなら」と至極ご満悦であった。その後当日はカットになった福岡タワーに登り、そこから海の中道を見た。あいにくの天気でガスのためかよく見えなかったが「あそこでライブしたんだな〜」と妙に感慨にふけってしまった。さあ最後の九州公演である。素晴らしいライブにしたいものだ。
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 2000年9月28日(木)
九州地区の最後を飾る福岡へやって来た。昨日は移動日でバンド全員で近くの温泉に泊まった。露天風呂がありとても気持ちがよかった。そしてコンサート当日、上々の天気。温泉から大宰府天満宮に立ち寄って市内に入ってきた。あさって、ファーイーストクラブバンドのライブが行われるイムズホールの前でちょっと宣伝がてら撮影をして腹ごしらえだ。全国で行きまくっているカレーのチェーン店である。すっかり満腹して最後の撮影に向かう。路上ライブだ。初めに考えていた街中の公園はあまりに騒々しいためできなかった。もう一つの公園もコミュニティーFMの流す音楽があまりに大きいのでボツになった。「どうすっかなー、どこでやろうか」ただでさえ道路が混雑しているので移動に時間がかかる。私はちょっとイライラしていた。結局先ほどチラッと立ち寄った大濠公園に舞い戻りライブをすることにした。「チューリップに敬意を表してこの唄をやります」K.ODAがそう言ったあと、あの熊本事件のビデオを流した。場内はバカ受けであった。歌った曲は「心の旅」とても心に染みた。この日はスタッフ、バンド全員で打ち上げを行う。以前、あの海の中道でスタ☆レビの皆さんとライブをやった時の打ち上げ会場と同じであった。ツアー中ではこれが最後の全員での打ち上げだ。時計の針が翌日に変わっても話は尽きなかった。
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 2000年9月26日(火)
鹿児島である。熊本から特急で2時間30分かかった。西鹿児島駅前の新しくできたというダイエーに入る。食料品売り場の横でたこ焼きやちょっとしたラーメンなんぞが食べられるコーナーで撮影をした。たこ焼きを買って食べようとしたがタイミングが悪く、かなりの待ち時間になってしまった。そうするとそんなシチュエーションではK.ODAはかなり目立つ。隣の子供連れの4〜5組のお母さん達が気づきこちらを気にし始める。店の人々も何事かと見にきてしまう。しかしたこ焼きがなかなかできない。「わざとゆっくり作ってるんじゃなかろうか」と言いたくなるくらいの時間を経てやっとたこ焼きができた。できたてのたこ焼きはそれはそれは熱く、撮影が済みその場を一刻も早く立ち去りたくなっている我々は、口内の火傷覚悟でダッシュでたこ焼きを食べた。
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