このページは、さあ、みなさんご一緒に!「あの日・あの時・あの場所で…!」失礼 しました。ある日のアノひとがみれます。ちょっと、覗いてみて下さい!

以前の日記

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 1998年6月26日(金)
久々にK.ODAが人前で歌を歌う。6月いっぱいで閉鎖されることとなった、日清パワーステーションでのライブだ。思い返せば1991年の突然の深夜ライブから足かけ7年、この間4回のライブをし、1回シングライクトーキングのゲストで出演し、さらに昨年は映画「緑の街」の撮影でもおおいに協力をしてもらった場所である。真夜中のライブなど、こちらのわがままをいつも聞いてくれる、我々にとっては非常にありがたいスペースだっただけに今回のことは本当に残念だ。さてこの写真は本番前に楽屋でMCを考えるK.ODAの図である。この日は多くのゲストが来てくれたこともありMCが多かったので、考えるのに途中で飽きてしまった。それがこの顔である。しかしこの後また必死に考えていたことを付け加えておこう。さてライブの方は先ほど言ったようにゲストがあり、またライブビデオの発売日ということでツアーで演った曲ありとバラエティーに富んでいた。スタレビの根本さん、中村雅俊さん、レコーディングではいつも参加してくれているギタリストの佐橋佳幸さん、そしてご存じ山本潤子さんのゲストの皆さんともとても楽しい時間を過ごすことができた。 運良くチケットを手に入れることのできた皆さんも楽しんでくれたと思う。コンサート終了後、近くの居酒屋で打ち上げがバンドのメンバー、スタッフ、関係者を50名ほど集めて行われた。K.ODAも真っ赤な顔で各テーブルをまわって談笑している。この打ち上げ、酔っぱらっていた私には何時頃終わったのかわからない。
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 1998年2月7日(土)
と舌の根も乾かないうちに再び登場してしまった。大阪の単館上映が始まったのだ。これは2月7日の梅田のシネアルゴの舞台挨拶の様子だ。徹夜組も出たということで皆さんお疲れさまでした。この日はこの後タワーレコード内のサテライトスタジオで番組に出演した。
これがその様子だ。ここへも大勢の方が詰めかけてくれた。少し前に御当地紀行で訪れた所である。というわけでこれで本当にお別れだ。事情により特にツアー中はリアルタイムに日誌が更新できず、待っていただいていた皆さんには本当にご迷惑をおかけいたしました。この場を借りてお詫び申し上げます。長い間本当にありがとうございました。
船越達也
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 1998年2月3日(火)
ついに本当のファイナルが訪れた。泣いても笑ってもこれでおしまいである。国際フォーラムでのコンサート、映像収録がメインだ。これでひとまず、長かったプロジェクトはいったん幕を閉じる。しかしまだ映画は上映中だし、春より第2次上映の予定もある。まだまだ「緑の街」は終わらないのだ。というわけで映画の撮影から綿々と続けてきたこの日誌も、これでプロジェクトに伴いいったん終了になる。長い間御覧いただき本当にありがとうございました。
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 1998年2月2日(月)
またまた渋谷だ。ここは映画の撮影でもお世話になった東京FMのスペイン坂スタジオである。エモーショナルビートという生番組にゲスト出演した。お相手はもう何度も一緒にやらせてもらっている山本シュウさんだ。シュウさんにも「緑の街」はすでに見てもらっていたので、映画の話はとても盛り上がった。思った以上にシュウさんに気に入ってもらえた様で「いい映画ですよねー」と言われるたびにK.ODAおおいに照れていたものである。
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 1998年1月31日(土)
渋谷だ。シネアミューズだ。ついに始まった、単館上映だ。武道館へ行く前に舞台挨拶のために渋谷へ行ってきた。渡部さんと中島さんが急遽駆けつけてくれた。この後武道館でコンサートがあるとはなかなか信じがたいものがあるがそうも言っていられない。慌ただしく武道館に向かう我々であった。
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