このページは、さあ、みなさんご一緒に!「あの日・あの時・あの場所で…!」失礼 しました。ある日のアノひとがみれます。ちょっと、覗いてみて下さい!

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 2000年3月20日(月)
いよいよツアーのリハーサルが始まった。バンドのメンバーは全く変わりは無い。最近までレコーディングで頻繁に顔を合わせていたのですんなりとリハーサルは始まった。今回のニューアルバムの曲から手をつける。2〜3回演奏するともう形になっていた。さすがプロである。サックスの園山さんは、今回パーカッションを多く演奏しなければいけなくてちょっと大変そうである。これからリハーサルを重ねていき5月11日の千葉ではいったいどんなステージを皆さんに披露できるのか、我々スタッフもとても楽しみにしている。これからはできるだけ多くの情報を皆さんにお届けできるようにがんばります。まめにこのページをチェックしてみて下さい。
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 2000年2月27日(日)
ついに、ニューアルバムの完成に向け、K.ODAはL.A.入りした。ここまで、長い長い道のりで、思えば幾年・・・・、まあ、いいや。写真は、エンジニアの”SAME MOON”ビル氏の子供たちに、おみやげのテレビゲームの日本語版ソフトの解読をしてあげている、の図である。がしかし、一時のなごみもここまで。次の瞬間には、スタジオに入っていくK.ODAでした。
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 2000年2月17日(木)
2月13日、バレンタインデーの前日、我々は極寒の北海道にいた。3月発売のシングル「woh woh」のプロモーションビデオの撮影のためだ。一面の銀世界、前日からかなりの量の雪が降っていたためすべてがきれいな新雪である。午前中から撮影は始まり雪が降るシーン、晴れわたったシーン、など天気に左右される撮影の予定だったので、かなりの待ち時間を覚悟していたがなんとこちらの都合のいいように天気が変わった。上の写真は撮影が始まる頃のものである。さしずめ吹雪と言ってもいいくらい雪が降っている。
ところが下の写真になるとすっかり雪はやみ、空には青空が広がっている。この間1時間くらいのものである。本当に先の天気の読めない雪国の天候である。この写真はスコップでカメラマンの私に雪をかけようとしているK.ODAの図だ。なんと嬉しそうな表情であろうか。このあと本当に雪をかけられてしまった。カメラが壊れたらどうするのだ。結局ほとんど天気待ちをせずに3時間で撮影は終了してしまった。あまりにもスムーズにいってしまったのでカメラマンの西浦さんは「もう終わっちゃうの、もっと撮っとかなくていいの」と何度も言っていたくらいである。あと一月もすれば色々なところで見ていただけるであろうこのビデオ、どうか楽しみに待っていて下さい。
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 2000年1月12日(水)
2000年になった。久々の日記更新だ。今回は「K.ODA、新年早々コンサート」の巻である。これを見て「えー、知らなーい」と思った方は当たり前。なにしろそれはごく内輪のコンサートだったからだ。今を去ること30年と少し、当時聖光学院の卒業生だった有志が集まってコンサートを開いた。名付けて「星の降る夜のコンサート」これには当時、東北大の学生だったK.ODAも出演している。そのコンサートがこの2000年に30数年の時間を経て、ここ、横浜の関内ホールで再び行われることになったというわけだ。出演は4バンド。当時流行っていたモダンフォークのコピーバンドである。当然皆英語の歌だ。時折オリジナルで日本語の曲が出てきたりするがまず英語だ。しかも皆発音がいいので驚く。K.ODAの出番は最後、旧友の地主さん、須藤さんとステージに上がる。例に漏れず英語の歌を数曲歌ったのち、私にもとっても馴染みの曲が始まった。「MY HOME TOWN」である。地主さんと須藤さんのコーラスも見事に解けあって素晴らしい出来映えであった。立ち見まで出た客席は出演者の家族や友人、知人。皆横浜で生まれ育った人ばかりである。それはそれは盛大な拍手であった。「あー、ホッとしたよ」出演者や友人達と終了後の楽屋で握手をするK.ODAの顔は安堵感と満足感に満ちているように見えた。
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