このページは、さあ、みなさんご一緒に!「あの日・あの時・あの場所で…!」失礼 しました。ある日のアノひとがみれます。ちょっと、覗いてみて下さい!

以前の日記

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(c) Far East Club 無断転載を禁じます。
 
 1997年9月26日(金)
スーパーホワイトアローという長い名前の電車で旭川へ向かった。今日の写真は札幌駅で立ち食いそばを食すK.ODAの図である。そば屋のおばちゃんの愛想は悪かったがそばの味は悪くなかった。さてソロになって初めての旭川公演である。御当地で市内をうろうろして今日は最後に歩いて会館に入った。会館の前の道路の中央分離帯にあった「ななかまど」という木を見て「おおーきれいだなー、なんだかロスみたい」と言いながら楽屋に入る。今日はコンサート終了後に風の顔らんどふうれんの子供達が楽屋を訪ねてきてくれた。なんだか子供達よりも引率の大人の方たちが舞い上がっていたのはやむを得ないだろう。
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 1997年9月25日(木)
札幌でのOFF日だ。スタッフ達は次の公演地、旭川に向けて出発した。残ったK.ODAは今日から共済ホールで始まった「緑の街」の舞台挨拶へ出かける。この日はバンドメンバー達も映画を見に来てくれた。共済ホールの楽屋で北海道新聞の取材を受ける。舞台挨拶ではもう恒例になった客席からの質問に答える。絶え間無く光るカメラのフラッシュ、香港でのコンサートの様だ。この日も上映を観た。まだまだ新しい発見がある。やっぱり同じところでグッとくる。私の演技も完璧だ。たくさんの人にこの映画を観てもらいたい、やはりこれにつきる。
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 1997年9月24日(水)
ついに北海道に上陸した。さすがに寒い。東京ではもてあましていたジャケットが手放せない。K.ODAも厚手のジャンパーで万全の態勢である。空港から御当地紀行を撮りながら徐々に市内に近づく。最後は大通公園から地下鉄で会館へ行った。そんな御当地紀行はコンサートでは大受けだった。「あんくらい受けると楽だよなー」とはコンサート終了後の楽屋でのK.ODAの言葉である。ちなみに今日の写真はコンサート前の楽屋でのとってもリラックスした様子だ。新しいドライバーを手に入れたので振ってみたくて仕方が無いといった感じである。この日の夕食はいつものラムのしゃぶしゃぶだった。あいかわらずうまい。
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 1997年9月21日(日)
仙台2日目。昨日とはうって変わって雨降りだった。幸いにも御当地紀行はすでに撮ってあったので雨の中をうろうろしなくて済んだ。この日は日曜日ということもあり開演は5時30分、いつもより1時間早い。この日の御当地紀行は恒例のミスタードーナッツ、19日の電力ホールでの舞台挨拶の様子、青葉神社、西公園の茶屋での食事風景をお送りした。仙台はもう庭のようなK.ODA、行く先々に思い出があるのであろう、学生時代の話をたっぷり聞かせてくれた。アンコールをいつもより1曲多く演奏して仙台の公演は終わった。ところでこの写真だがこの日写真を撮りそこなってしまい(すいません・・・)翌日仙台から東京に戻ってきてジムへ行って来たところを撮ったものである。なぜ台所で立ったまま食べているのか、行儀が悪いわけではない。すぐに空の容器を捨てられるからだ。なんて合理的なのだろう。
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 1997年9月20日(土)
誕生日おめでとう。K・ODAが誕生日をコンサートツアーの真っ最中に迎えるというのも相当久し振りなのではないだろうか。今日も昼間に市内観光をして、会場のサンプラザホールへ入った。楽屋には様々な方からのお祝いの花や電報がたくさん届いていた。しばらくその花を見つめるK・ODA。今日は楽屋での取材などが何も無かったので慌ただしさがなく、ゆったりと時が流れていた。コンサートではアンコール前にバンド、スタッフでしめし合わせてハッピーバースデーを演奏。50本のロウソクが立ったケーキも用意されて、K・ODAも驚いた様子だった。ロウソクの火を一気に吹き消してすぐにアンコールの曲「Yes−No」が始まるが、K・ODA、涙腺がだいぶ弱くなったのか途中で歌えなくなってしまった。「だから誕生日にコンサートやるの、やなんだよ」あとで楽屋で強がってこんなこと言うかもなァと思ったりしながらステージを見ていた。
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