このページは、さあ、みなさんご一緒に!「あの日・あの時・あの場所で…!」失礼 しました。ある日のアノひとがみれます。ちょっと、覗いてみて下さい!

以前の日記

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 2002年5月11日(土)
この日の米子公演は延期になった。K.ODAと私は1時の飛行機で東京に戻る。この写真は帰りの機内でBBS用のメッセージ書いているところだ。結局米子に一泊しただけとなってしまった。スタッフやバンドメンバーは後処理や福岡でのスケジュールもあるので米子に残っている。木下プロデューサーも当日、知らずに会場に来られたお客さんに事情を説明するためにコンベンションセンターに行った。お客さん達は驚いた様子ではあるが「どうぞお大事に」と言って帰っていったと木下氏に聞いた。ほんとうにありがたいことだ。
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 2002年5月10日(金)
羽田空港に現れたK.ODA、マスクをしていた。やはり調子は相当悪かったのか。昼過ぎに米子到着、そのまま御当地の撮影に突入。会場に着いたのは3時半だった。そして皆さんには大変なご心配をかけてしまう結果になってしまうのだ。ライブが始まる前からもちろん調子が悪いのはK.ODA自身もわかっていたのだが、あそこまでひどくなるとは本人も思っていなかったのではないだろうか。本番終了後病院へ行くK.ODA。だが病院の帰りに「お腹がすいた」といってラーメン屋さんに寄ってホテルに戻ってきたので体は大丈夫なのだろう。とにかく喉と体をゆっくり休めて欲しいと思う。
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 2002年5月8日(水)
ファーイーストクラブバンドのライブだ。渋谷AXよりもだいぶ小さくていつものバンドライブの雰囲気にピッタリだ。会場を出るとアーケード街である。本番前、メンバーの皆さんはそれぞれCDショップや買い物に出かけていった。稲葉さんなどはこの日着る衣装を買ってきたようだ。K.ODAも本編が終わるまでは見ていたが、あいにくこの日最終の新幹線で東京に戻らねばならず会場を後にした。同じ新幹線にヤクルトVS阪神戦を終えたばかりのヤクルトのペタジーニが乗っていた。やはりでかい。
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 2002年5月7日(火)
昼間、大阪ではここっきゃないという「ユニバーサルスタジオジャパン」へ行ってきた。もちろん撮影でだ。だが、やはり撮影には厳しくワイヤレスマイクNGだったりアトラクション内の撮影はNGだったりとなかなか本来の調子で撮影はできなかったがK.ODA自身は「いやーなかなかよくできてんなー、またゆっくり来たいですねー」と満更でもない様子だった。唯一乗ってみた「バックトゥーザフューチャーライド」はかなり激しかったらしく「ライブ前にはお薦めできません」と言っていた。ユニバーサルを後にし、会場に到着。さっそく新しい曲順のチェックだ。しかし曲順を変えるとガラっと雰囲気が変わるもんである。「曲順って難しいよなー、どうして正解に辿りつけないんだろ」最近K.ODAがよく言うことばである。
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 2002年5月6日(月)
いよいよ大阪公演の初日だ。初めての会場である。隣は大きな病院で病室が見える。自分が元気に活動していることを感謝する気持ちになったのは偽らざる気持ちだ。今日はオープニングの映像が初登場するのでスタッフも多く大阪に登場している。私は私で御当地紀行で頭がいっぱいであった。ライブの内容は今後ご覧いただく方々がたくさんいると思うので割愛するが、終了後またまた曲順が変わった。K.ODAの中ではまだ正解にたどり着いていないということであろうか。
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