このページは、さあ、みなさんご一緒に!「あの日・あの時・あの場所で…!」失礼 しました。ある日のアノひとがみれます。ちょっと、覗いてみて下さい!

以前の日記

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 2003年12月13日(土)
スタジオ作業の合間をぬってライブをやってしまった。とは言っても2曲歌っただけだが・・。今年の6月に大阪のイベントでご一緒した矢野顕子さんのライブにゲスト出演したのだ。会場のNHKホールとスタジオがとっても近かったので合間がぬえたわけだ。スタジオからリハーサルに行って、また戻って出番前にまたホールへ行った。この写真は出番前のK.ODAの様子だ。リラックスしまくっている。アンコールでK.ODAが登場、大歓声が場内を包む。「お待たせしましたー」最近のK.ODA定番の登場シーンだ。ひとしきりトークをして「言葉にできない」と「中央線」という曲を2人で歌った。当然矢野さんがピアノなのでK.ODAはギターを弾きながら「言葉にできない」を歌うというちょっと珍しいパターンだ。かなり落ち着いた上品なお客さん達だったが歌が終わるとしばらく拍手が鳴り止まなかった。K.ODAが立ち上がって頭を下げてやっと静かになった。素敵な一瞬だ。
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 2003年12月7日(日)
ついにこの日を迎えてしまった。3回目の「クリスマスの約束」収録である。昨日、ここでゲネプロと呼ばれる本番さながらのリハーサルを終えているので今日は軽いリハーサルをして本番を待つ。K.ODAの表情は昨年、一昨年に比べると非常に穏やかだ。3年目の余裕だろうか。今年はついにゲストをお迎えしての番組になる。3年目だからこそ実現したのだと思う。ゲストに関しては一部マスコミには出てしまっているが、「あくまでも25日まで知りたくない」という方々を尊重してここでは書かないでおく。そして本番。最初からトラブルが起きたりして先が不安になりそうだったが、始まってしまえばあっという間の4時間であった。本当にあっという間だったのだ。それだけ充実していたのだろう。本番終了後のK.ODAの表情からもその充実感が伝わってきた。さあ、これからは編集作業である。最高の番組を作るぞー。
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 2003年11月9日(日)
突然ライブを行なってしまった。場所は岡山である。「岡山ノートルダム清心女子大学」がライブ会場だ。この名前にピーンと来た人がいらっしゃるかも知れない。それは5年前の1998年、K.ODAの映画「緑の街」をこの大学の学園祭で上映してくれて、舞台挨拶に出かけてきたことがあった。そんな縁で今回は学園祭でトーク&ライブを行なうことになったのである。バンドはギターの稲葉さんとアコーディオンで栗尾さん、そしてコーラスのできるプロデューサー木下氏というメンバーだ。あいにくの天気だったが会場には800名の学生さん、及びそのご家族が集まってくれた。会場の女性率、及び22歳以下率は96.8%である。すごい眺めだ。こちらが照れてしまう。学生さんたちの両親よりも年上だと思われるK.ODAであるが、ライブではがっちりと彼女らのハートを掴んでしまった。終演後もビデオをまわす私に向かって「小田さんサイコー!」と叫ぶ学生さんが後を絶たないのだ。そしてこの写真は一夜明けて東京へ戻る新幹線のホームでの記念撮影。今回のライブの実行委員のみなさんである。みんないい表情をしている。充実した日々を過ごしたに違いない。
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 2003年10月24日(金)
さようなら台湾、というわけで日本に戻る日がやってきた。過ぎてしまえばあっという間の10日間であった。台北の空港にはカメラマンの姿は1人も見当たらなかった。現金なものだ。現地のスタッフに挨拶をして飛行機に乗り込む。台湾から成田までは2時間25分らしい。本当に近い。いつかまた台湾に行く日が来るのだろうか。
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 2003年10月23日(木)
アジアツアーファイナル公演、台湾である。ここ台湾は日本と同じで午後7時開演だ。リハーサルを終えてオールスタッフで記念撮影をする。各国でやってきたこの恒例行事もここ台湾で最後である。そしていよいよ本番をむかえようとした時のことだ。実は映像の機材がトラブルを起こしていてなかなか復旧しないでいたのだ。日本のスタッフと台湾側のスタッフ、そして通訳の人と三つ巴でもめまくっている。何とか本番までに間に合わそうとしていたが思うように話が進んでいかない。結局、このアジアツアー最大の40分遅れでライブは始まった。しかも北京語の歌詞をスクリーンに映せない。ライブ途中で替わりの機材が到着し、何とかすべてが復旧した。が、ステージの上は何事も無いように進んでいた。しかし台湾のお客さんは熱い。他に比べて歓声がボリューム2つくらい高いようだ。地元のプロモーターの方も「こんなに台湾のお客さんは盛り上がらないはずだけど」と不思議がっていた。そしてクライマックスはアンコールの「君住む街へ」だ。復旧したスクリーンに北京語で歌詞を出すとなんとお客さん達の大合唱が始まったのだ!。私もゾクッとする感覚であった。もちろんK.ODAはステージで涙涙である。また大きな素晴らしい思い出が我々の胸に残った。
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