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すーきん /
ありのままの小田さんでいて /
2025-7-2 20:18:13
四日市ドームの二日目に参加しました。コンサートに行くこと自体、久しぶりでした。周りは同じくらいの年齢の人たちばかり。私たちもそうでしたが夫婦が多かったなぁ。
小田さんの音楽との出会いは高校生の頃。
FMラジオから流れたオフコースの「秋の気配」を聴いて、こんなに洗練された音楽があるのだと感動しました。
それからオフコースは、何かにつけて私のそばにありました。高校でクラスの友達と文化祭でオフコースのコピーを演奏したこともありました。あの武道館コンサートにも行きました。
でも、オフコースが4人になった頃には、就職とか色々なことが自分自身にあってオフコースから少し遠ざかっていました。しかし、小田さんがソロ活動を始めた頃にはまた小田さんの曲に耳を傾けるようになりました。
驚いたのは、活動が幅広くなったこと。青木功のキャディーを務めた番組も見ました。怒られながら走り回る小田さんは痛々しい程でした。
その後の活躍も見てきましたが、小田さんは無理しているんじゃないのかなと思ってました。ビジネスでやっているんじゃないかと。もちろん、それも大事なことですけど。
でも今回コンサートに参加して、わかりました。小田さんは本当に音楽が好きなんだ、お客さんと作り出す雰囲気が好きなんだと感じました。以前のようには歌えないことを小田さん自身が不満に思っているかもしれない。でも、小田さんは楽しそう。音楽は皆んなで作るものなんだと。
中にはコンサートでもCDと同じ品質を求める人もいるかもしれない。小田さんも若い頃はそんなことを言っていたように思いますが、今は小田さんもお客さんも一緒に楽しむんだという気持ちで臨んでいるように感じました。

そして、小田さんのような歳の取り方をしていきたいとつくづく思いました。
テレビのインタビューでもおっしゃってましたね。「お客さんが聞いてくれるうちは、歌え」と先輩から言われたって。ありのままの小田さんでいいので、これからも歌っている姿を見せてください。
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をこ /
再会 /
2025-7-2 15:59:36
令和7年6月26日 四日市ドームで小田さんと50年ぶりの再会。
50年前の3月、中学を卒業した私はNSPのコンサートのため友人と二人で名古屋市公会堂に行きました。それはオフコースとNSPのジョイントコンサート。「オフコースって何?」というのが当時の私の正直な気持ちでした。
コンサートが始まりオフコースの二人が歌い始めると、それまで私が聞いていたフォークソングとは異質なメロディとハーモニーに「オフコース ムムッ」。ギター小僧の私は「のすなチャンスを」「でももう花はいらない」で小田さんと鈴木さん二人のアコースティックギターの演奏に「オフコースってなんかすごい!」
バッグにテープレコーダーを隠し持って録音していた私は田舎に帰りそれを繰り返し聞いていました。聞けば聞くほど「オフコースって良いなぁ」。それからオフコースのアルバムと歌本を手に入れ、「のすなチャンスを」と「でももう花はいらない」を必死に耳コピしてギターの練習をしました。既に私は「オフコースが好き」になってました。
高校生になり、「ワインの匂い」を買ってますますオフコースのことが好きな自分を再認識し「オフコースが大好き」になったのですが、クラスの中にオフコースを知っているのが自分一人という現実が寂しくもあり誇らしくもあるという複雑な気持ちになりました。
商売を続けてきた私は、コンサートに行くためには店を休まなければならないのでコンサートに行くことをずっと我慢してきました。小田さんと知り合って50年目の今年、「小田さんが頑張っているうちに、一度会いに行かないと絶対に後悔する。」と思うようになり、店を二日間休み家内と四日市に出かけました。小田さんが仲間やファンに向けて感謝の気持ちを届けようと必死に歌っている姿を見て聞いて、本当にうれしくなしました。何か自分の人生に一区切りをつけたような気分になって帰ってきました。中坊でオフコースを知ってから、ずっと宝物を届けていただいてきたような気分です。ありがとうございました。
最後に一つだけ私の願いを。「のすなチャンスを」「でももう花はいらない」「僕の贈り物」「水曜日の午後」「老人のつぶやき」小田さんと鈴木さん、二人で歌っている姿をもう一度みたいです。田舎暮らしの私でも見られるような形で配信していただけたら幸せなのですが・・・
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青葉もゆる /
四日市マイご当地紀行1 /
2025-7-2 7:5:20
ご当地紀行発祥の地・四日市から その30周年を記念し 小田先輩と船越さん 全国のイベンターの皆様に 捧ぐ (船越さんの、軽妙洒脱な文体のようには書けませんが)
初日は、家を出るときから(有賀さんが整列している)前回のツアーTシャツで、有賀さんと一緒にきて、宿泊ホテルで(ウクライナカラーの黄色のアイスホッケージャージの)勝負服を羽織って、いざ会場へ。
いきなり、ご当地紀行から外れて恐縮ですが、ヒラヒラにまつわる初日のエピソードを一つ。僕の前席の(僕と同年齢くらいの)お嬢様が、ヒラヒラを必死にとろうとしていました。実は、僕の目の前を素通りし、彼女の足下の方にフライングしていったことを、(当然のことながら)彼女は気付かず、危うく先輩の形のヒラヒラを踏んでしまいそうになりました。その時だけ歌うのを止めて、教えてあげたら、よほどうれしかったのか、その時とその歌が終わった時の2回も感謝されました。その後、隣の若夫婦が「良かったらこれどうぞ」と音符型のヒラヒラを差し出してくれました。僕は正直、ヒラヒラには目もめくれず、先輩の歌に合わせて、先輩が歌わない時は、代わりにより大きな声を出して、会場一体感の演出のカになろうとしていただけなので「いえいえ、僕は良いですから」と申しても、「熱心なファンの方のようなのでぜひ。どうぞ」と。僕は有賀さんが一緒に舞い降りてくれたように想い、受け取りました。みんなに喜んでもらう素敵なヒラヒラの演出は最高です。僕がうれしかったのは、ヒラヒラを入手できたことより、お嬢さんが本当に喜んでくれたことと、ご夫婦の優しさを頂けたことです。ここに集う皆様にも、どうかたくさんの幸運が、先輩の音楽を聴くことで、舞い降りてきますように!と願います。
2日目は、エコパ初日に購入した白いツアーTシャツ。これを着て(桑名市の)Pホテルのフロントに鍵を預けると、女性のフロントスタッフがTシャツと僕の目を見ながら、「おはようございます。昨日、ライブに行かれたのですね。私も本当に行きたかったのですが、地元なのにチケットが全然、取れなくて・・・」と。そこから、先輩のライブの良さ・凄さを熱く語り、東北大学の話しまで・・・彼女の上司らしき男性も会話に入って3人でファン同士の熱い会話がさらに発展。仕事ダイジョウブ?かなあと、思いつつそれも仕事かもしれない。僕等はもう気持ちを同じくする家族みたいなものだから。でも、他の客が見えたときの、切り替えの対応が生き生きして素晴らしかったです。彼女から「大阪は絶対に取れるように、申し込みます!」と宣言を頂きました。それにしても先輩愛を語るとき、どうしてこんなに時間が早く過ぎてしまうのだろう?
以後、マイご当地紀行2と3に続きます(すみません)。実は、僕はツアー初の静岡と僕の第二の故郷でもある宮城に2日間とも参加しました(宮城の初日では、なんと開演直前の客席モニターに僕が映ったようですが、それに気づかず・・・)。初日の感動と感謝を言う前に、こんなグタグタの長文を書きまして、申し訳ありません。しかし、あの2回の公演の時に受けた気持を、未だに(僕の言語化する能力が足りないため)言葉にできていません。そのことは、横浜アリーナを見届けてから、なんとか書ければと思っています。
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花屋の寅次郎 /
幸せな記憶 /
2025-7-1 21:36:43
昨日、1982.6.30武道館のDVDを見ていました。私にとって原点ともいえるライブ。昔レコードを聴いていた頃のように、ちゃんとしたスピーカーで音楽を聴きたいなと思いつつ、普段はスマホで小田さんの曲を聴いている今日この頃。小田さんの曲をランダムに聴いていますが曲ごとに色々な思い出やその時の空気感が蘇ります。八景島でリハーサルの音が風にのって聞こえてきた「風の街」愛知県体育館の終演後に流れていた切ない胡弓の音色が忘れられない「僕らの夏」HOME TOWN DECISIONでかけあいの練習をした「恋は大騒ぎ」数えきれない思い出がたくさんあります。
そしてこうして今も小田さんに会いに行けることを本当に本当に心から嬉しく思います。四日市もと〜っても楽しかったです!いくつもの落選を乗り越えて、そして電車やバスを乗り継いで2日間参加させていただきました。客席に降りて歩いている小田さんの姿がキラキラ眩しくて、あ〜やっぱり小田さんカッコイイ〜!と目がハートになっていた寅次郎でした*^^*
急にとても暑い日が続いていますがどうか小田さんお身体ご自愛ください。いつも本当にたくさんの感動と幸せをありがとうございます!
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nagatiy /
そのままの君が好き /
2025-6-30 1:12:35
野外公演が無い今ツアーで半分野外気分を味わう四日市ドーム公演は格別でした
晴れろ晴れろと願った2日目
四日市ドームならではの光景に囲まれ、陽の光の中に立つ小田さんは近くに感じられ同じ場所にいることが実感できるのでした
アクセスに難あり、関係者の方々の苦労も大きかろう場所で奇跡的な3回目の開催に大感謝です
小田さんバージョンアップいちじるしくてワクワクし、新企画の緊張の自己紹介も声を聞くと親しみが増すことを知りました
小田さん、バンドメンバーさん、力を尽くしてもらい心からありがとう
手にお持ち帰りされた舞い降りたハートのヒラヒラ、小田さんのもとでそっと輝いていてくれたら嬉しい
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