このページは、さあ、みなさんご一緒に!「あの日・あの時・あの場所で…!」失礼 しました。ある日のアノひとがみれます。ちょっと、覗いてみて下さい!

以前の日記

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 1997年12月10日(水)
ついに東京公演の日がやってきた。ここ国際フォーラムでのコンサートは初めてだ。前回の小倉でのコンサートから約一週間振りということでこの写真のようにK.ODA、楽屋で練習に余念が無い。すべての訪問客をシャットアウトして本番に臨んだ。この日は映画「緑の街」に真下役で出演してくれた林泰文君が終演後、楽屋を訪ねてくれた。「監督じゃないみたいでした。」林君の感想である。そういえば松山でコンサートを見た菅野君も同じようなことを言っていたのを思い出した。彼らにとってはK.ODAはあくまでも監督なのである。
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 1997年12月3日(水)
小倉へやってきた。オフコースの時以来である。さてこの写真、御当地で足をのばして門司まで行ったのだがその門司の港で人力車を引っ張っていたおじさんとのツーショットだ。この日はとにかく凍えるくらい寒く、おじさんに再三「乗っていかないか」と誘われても断り続けたK.ODA。しかし最後はやっぱり乗ってしまうところがK.ODAである。小倉でのコンサートも大盛況のうちに幕を閉じた。明日は久々に東京に帰ることができる。長い旅であった。
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 1997年12月2日(火)
福岡でのOFF日。しかしK.ODAに休みは無い。メルパルクホールに舞台挨拶に行く。この日はK.ODAの計らいで上映会のスタッフに差し入れということで寿司をごちそうした。最後の7時の上映会前にスタッフの手元に届いた。「いただきまーす」スタッフも喜んでいる。「明日もなにか差し入れしますから」私はスタッフ達と約束をした。明日は山盛りの明太子とご飯だけを用意しよう。その時のスタッフ達の顔が見たい。
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 1997年11月28日(金)
広島の二日目だ。この写真は本番前の楽屋でリラックスしすぎているK.ODAである。本番前のK.ODAはたいてい、楽屋のキーボードに向かって発声練習に余念がない。廊下にまでK.ODAの声がひびいてくる。これだけリラックスして発声練習もバッチリなら今日のコンサートも大成功間違いなしだ。
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 1997年11月27日(木)
昨日とはうってかわって太陽が顔を覗かせている。この写真は地元の恋人同士が夜景を見ながら愛の言葉を語り合うとイベンターの米原さんが言っているレストランの庭である。駅の向こうにある高台の中腹にそのレストランはある。広島の皆さん、一度お出かけになってはいかがでしょうか。しかし残念なのは昨日の野球大会である。今日だったら絶対にできたはずだ。とはいっても仕方がない、次の機会にがんばろう。
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